算命学余話 #R19「八専日の弱点」/バックナンバー
昨年後半は英国のEU離脱決定や米国のトランプ氏の当選が世界に衝撃を与え、これまでの世界常識が永遠に続くものと疑わなかった識者たちが右往左往する姿が曝されました。ここ数年のトレンドだったグローバリゼーションは、それを牽引してきた米国や先進国によって早くも時代遅れのものとなりつつあります。グローバリゼーション信奉をやめられない人は自分の先見力のなさを認めたくないのか、欧州の移民問題にかこつけて「人々が心の壁を作ってしまっている」とさも人道主義者のような発言をするのですが、算命学の理論からすれば、こうしたきれい事は嘘っぱちの部類に入るので早々に辞めた方がいいという見立てになります。
私はトランプ氏の下品さを心の底から忌避していますが、正直という点では評価しています。前回の余話では、自然思想を基礎とする算命学が正直に生きることを奨励している話をしましたが、私の見るところ、冷戦後に急速に広がった格差から人々の目を逸らすために世界はきれい事を並べすぎました。寛容だの多様性だの心の壁を取り払えだの、いかにも高潔で、これに反対する人間は人でなしだと言わんばかりの文句が持て囃されました。
しかし実際にはこうした美辞の陰で多くの人が泣いており、しかもそうして泣く人たちは人でなしとなじられるほど非道な人間ではなかった。ごく普通の、善も悪もそこそこにやってきた、善人ではないかもしれないが悪人でもない、しかし大きな嘘はつかなかった人たちです。少なくとも彼らは嘘で多くの人を惑わすことはしなかった。そういう意味では、大きな嘘をつき続けて人心を惑わし、格差を広げる社会に加担してきた政治家や知識人の方が罪が大きいのです。
算命学はバランスを重んじます。格差の問題はもはや世界のバランスを保てないほど極端になったので、反動として底辺の声が表社会に噴き出してきた。それがEU離脱やトランプ支持の票数に現れたのです。この反動は自然な運動なので、算命学はさほど不思議とは考えません。但し、反動の運動は動きとしては激烈なので、その衝撃に耐えられない弱者は空中に放り出されたり地面に叩きつけられたりします。その具現が哀れな難民なのだと言えるのではないでしょうか。
今年は欧州各国で選挙が目白押しで、移民問題に悩む各国では極右政党が躍進するのではないかとの懸念が強まっています。懸念と申しましたが、これは今のメディアが好んで使っている言葉であって、社会の指導層がまだ従来の価値基準に拘泥している表れでもあります。「心の壁を取り払い…」。きれい事です。
そもそも壁とは雨風を防ぐための防護壁です。細胞にだって細胞壁があるように、自己を保存し、外的病因をブロックするために必要な生存手段の一つが壁なのです。壁がないということは雨風にさらされたまま寝るということです。そんなことをしたら人は死んでしまいますし、実際にシリアの難民は密航中に壁も屋根もない船上で風雨や日射に曝されて息絶えています。彼らは文字通り家の壁を空爆によって破壊されたから、安心して眠れる頑丈な壁のある家を求めて逃げ惑っているのです。
壁は人を守るものでもあり、同時に拒絶するものでもある。算命学が唱えるバランス感覚はここでも必要とされています。壁はなくては困る。しかしあり過ぎても困る。丁度いい具合はどこか。いままでの社会は壁を取り払い過ぎたために、裸にされた多くの人々が病に罹った。今後は壁が必要になる。それが近い未来の展望です。そういう意味で、トランプ氏の台頭も移民排斥運動も、時代の流れに沿っています。その勢いが止まるのは、また行き過ぎてバランスを欠いた時になります。
養老猛司氏はグローバリゼーションの終焉を歓迎しているそうです。なぜならグローバリゼーションを極めると「みんな同じ」になってつまらないからです。私も同感です。多様性を叫びながら「みんな同じ」になることを目指している社会の辻褄の合わなさには早くから気付いていましたが、養老先生も同意見だったとは嬉しい限りです。
だって昨今あちこちでオープンしているショッピングモールを例にとっても、どこへ行っても中身は同じではないですか。それなら最寄りの一件だけに行けばいい、よその街へ出向く必要はない、ということになるではないですか。どこへ出掛けても金太郎飴のように同じ物しか出てこないなら、家にいればいいのです。外国に行く必要だってなくなります。
多様性というのは、本来そこにしかない文物に出会ってそれを愛でることではないのでしょうか。ならばその土地だけの文化なり人種なり言語なりを元のままに保存することが優先されるべきなのに、なぜ世界はグローバリゼーションバンザイ、移民バンザイで、どの国に行っても同じ風景、同じ雑多な民族構成、同じ共通言語、同じ服、同じ教育、同じ労働を賛美しているのでしょう。人間一人一人の個性を重んじるというのなら、その国や地域、街や集団の個性も重んじて然るべきではないのでしょうか。この考えはそんなに宇宙人的に飛躍したものでしょうか。
今回の余話は、そんな反動が予想される近未来にも頑強に生き延びる命式を紹介します。今の日本は幸いにも平和が続き、身体頑強でなくとも、ひ弱であっても、そこそこ長い寿命を全うできます。逆にいわゆる身強に生まれると、平和に暮らせる土地ではエネルギーが余り過ぎて活躍できず、不遇をかこつと考えられています。しかし今後世界が激変して弱肉強食の世が復活するとすれば、俄然身強の出番です。こうやって平和と動乱が交互にやってくるのがこの世のならいであり、身強の人と身弱の人の活躍の場が交互に奪われていくのが正しい世界のあり方なので、文句を言っても仕方ありません。
今回は身強の中でも特に頑丈な星並びとされる「八専日(はっせんび)」について考えみます。
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