算命学余話 #U111「却局の濁と比和」/バックナンバー
算命学は水晶玉占いのような未来予知をするものではなく、持って生まれた宿命(=生年月日)と現在進行中の現実生活とを見比べて、より無理のない生き方を提示することによって今日的なストレスを軽減するのに有効なツールです。従って生年月日が異なれば、自ずとその人にとっての無理のない生き方とやらも違ってくるわけですが、どんな宿命に生まれようとも人間であることに変わりはなく、誰しも人間社会に暮らすことが前提です。人間社会には人間が溢れており、これらと付き合わないわけにはいきません。
そして社会には集団生活を円滑に営むためのルールがある。ルールは社会によってさまざまですが、ルールのない社会はありません。ルールの好悪は人それぞれであり、従って社会の好悪も分かれます。万人にとって都合のいいルールも社会もありません。そのルールが気に入らないならその社会を離脱して自分に合ったルールの社会を探し出し、そこへ編入してもいいでしょう。しかしどの社会も気に入らないというのなら、その人の社会適応能力そのものを疑ってみる必要があります。
戦後教育と経済優先の価値基準により他者や国家への依存を深め、自立して生きる能力も意欲も低下させた今日の日本人の惨状に対し、奇しくも内田樹氏は『大人のいない国』と称しましたが、偶然同時期に私が読んでいた徳川18代当主と養老孟司氏の対談本『江戸の智恵』にも同じく「大人のいない国、日本」という見出しがついており、当代の知恵者はいずれも同じ観点で日本人に警告を発していることが知れました。
そして、私が引き受けている運勢鑑定においても、迷える現代人である依頼人に向ける助言の定番が奇しくも「自立しろ」とか「責任ある大人になれ」であるので、算命学の語る生き方指南もまた、当代知恵者に共通する、いや恐らくはいつの時代にも通用する人間社会の真理なのだと知れたのでした。各人が自立性を取り戻し、責任ある大人としての振舞い方を身に付ければ、現代人の悩みの大半は解消することでしょうし、今の社会問題の多くも解決することでしょう。
自立も責任も忌避する今日の日本人を奴隷呼ばわりして厳しく非難し、戦闘的啓蒙発言で孤軍奮闘するお馴染み内海聡医師が、自著の中で興味深い提言をしているのでご紹介しましょう。なぜ興味深いかというと、私が算命学を通じたお悩み相談において、自立できていない大人になってしまった一部の依頼人に対して提示する助言と、内容が一緒だったからです。このような依頼人にはわざわざ算命学を駆使しての運勢判断など必要なく、内海医師の著書を読んで開眼してもらった方がよほど話が早いのではないかと思えるほどです。
――何より(病気)予防のために重要なのが、意識を高めることである。(そのためには、)
・常に自立し、人に頼らず解決する思想を持つこと
・自由や権利には責任が伴うことを理解すること
・社会や世界の構造を知るべく、一生をかけて学ぶこと
・常に自己で選択し、決断し、それに対して自ら責任を取ること
・因果関係を常に把握し、因果の輪廻を超えるべく努力すること
・抑圧と闘い、奴隷であることをやめること
・被害者意識と、正当化の枠から脱出すること
・子供、家族、地球、すべての生命を見つめ直し、最も価値あるものとすること
・自我を確立し、何の為に生き、何を目的としているかを明確化すること
・常に物質に依存していることを戒め、物質依存から脱却しようとすること
これらを常に意識しなければ、どのような予防法をとっても無駄であることは基本中の基本である。(『医学不要論』ほか)――
現代医療が単なる金儲けの現場になってしまっている社会全体の仕組みと慣習を、医師の立場から痛烈に批判する内海氏は、病気ともいえない人が容易に病院に行ったり薬を飲んだりして社会の財産を食い潰している日常の背後に、そのように人々を仕向けている医者や企業やマスコミの醜い欲望が渦巻いていることを看過せず、彼らの思う壺にはまらないよう個人個人が自ら愚行を遠ざける意識を持つべしと防衛策を提示してくれているわけですが、この提言は世の中の真理を突いているため、医療にとどまらず社会問題全体に、ひいては運勢相談の解決方法としてもそのまま使えます。
少なくとも、今の自分の悩みの解決方法は誰かに聞けば簡単に手に入ると思っている、それで物事が解決すると本気で思っている人にとっては、有効だと私は思っています。物事が解決しないのが問題ではないのです。自分で解決しようとする訓練ができていないのが問題なのです。選挙権や刑事罰適用年齢が大人の基準なのではありません。自分のことくらい自分で解決できるか、できないまでも責任は取るべきだと考えられる人間が大人なのです。たまに「責任を取る」ことの意味が判らない人がいるのですが、「自分の尻は自分で拭く」と言えば理解できるでしょうか。
さて今回の余話のテーマは前回に引き続き、八相局のひとつである八相却局(ごうきょく)についてです。八相局は全部で五種類ありますが、うち食局は少し前の余話#U91で取り上げたのでこれ以上は述べません。残るは却局と財局ですが、財局は八相局の中でも現象が弱くさほど尖ってもいないので、後回しとさせて頂きます。
却局は八相局の中では最も現象が強く出る命式であり、その問題の原因が比和にあることから、比和という相関関係を算命学が思想としてどのように捉えているか、実は比和でできている貫索星と石門星はこういう問題を抱えている、という話を展開してみます。
貫索星や石門星のない人にとっては無関係な話と思うなかれ。以前の余話でも触れたように、星の重複は貫索星・石門星と同じ意味合いを加味します。ここ数回取り上げてきた八相局なら、却局以外であっても星は必ず重複しているのです。つまり八相局かそれに準じる命式であるならば、必然的に貫索・石門の性質が加わっているので、比和の問題とは無縁ではないのです。いわんや、お騒がせ星として名を馳せる調舒星や龍高星を重複させている命式とあらば、食局・印局の特質とは別に、却局の恐ろしさについても知っておいて損はありません。そして却局の恐ろしさというか不気味さは、つまるところ比和の恐ろしさ、不気味さなのです。
今回は却局を説明するに当たって、八相局全体の共通事項にも触れますので、恐縮ですが前回に引き続き購読料にご留意下さい。
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