算命学余話 #G101 「自己組織化を考える」
(※当記事は『算命学余話』バックナンバーではありますが、ごく最近の記事であるため、タイトルから「バックナンバー」の文字を外します。ブログ「土星の裏側」には既に掲載済みです。10冊毎のマガジンとして組み入れます。)
算命学に人生相談を求める依頼人の中には、自分の欠点を指摘されて開き直る人がいます。生きづらさを感じて解決策を求めてやってきたのに、生きづらさの原因が自分自身にあること、それが宿命にも書かれていることをこちらが指摘すると、「宿命通りに生きることは宿命消化になるから、敢えて今の自分を変える必要はないはずだ」と言って自分の非を認めない。こうした場合、鑑定師としては、宿命から読み取れる通りの風景を伝えているのだし、「生きづらさ」を解決する助言もしているので、「それを依頼人が聞くか聞かないかはご勝手に」というスタンスで鑑定を終えるしかありません。
「宿命通りに生きることが宿命消化になる」のは確かにそうです。しかし「だから敢えて今の自分を変える必要はないはずだ」というのは「現状維持で良い」ということであり、そもそも「今の生きづらさを解消したい」という変化欲求とは矛盾します。現状維持でいいならわざわざ依頼をしてくるな、と鑑定する側は冷ややかに思っています。
算命学の学習者にはこうした依頼人の屁理屈に惑わされて欲しくないのではっきりさせておきますが、「宿命通りに生きること」は「宿命消化にはなる」けれども、「幸せを感じる」ことや「充実した人生を生きる」こととは必ずしも同義ではありません。なぜなら宿命に書かれているのは長所にも短所にもなり得る素質や、幸福にも不幸にもなり得る要素なのであり、それを野放しのまま放置して生きたからといって、都合よく長所や幸福が寄って来るわけではないからです。端的に言って、短所や不幸を呼び込む可能性の方が高いでしょう。
そうならないために、「野放しの野人」にならないように、我々人間は「訓練」を受けるのです。それは子供の頃の家庭の躾や学校教育、周囲に対する観察や働きかけ、大人になってからも続く気付きや啓発だったりしますが、どういった訓練がその人の人生を充実させるかは人それぞれで、一様ではありません。一様でない理由は、宿命が一様でないからだと、算命学は考えています。
更に、宿命ごとに正しい訓練というものがある。宿命にそぐわない間違った訓練を受けると、宿命消化が進まないだけでなく、間違った方向へ突き進んでしまい、結果として淘汰が早まります。勿論当人は「生きづらさ」を感じることになる。だから上述の依頼人のような開き直りはお勧めできないのです。早死にしたいという相談依頼ではないのですから。
学習者にはまだ「宿命消化」の是非がいまいちピンと来ないかもしれません。私も伝え方が難しいと感じています。そこで最近耳にした「自己組織化」という概念を拝借したいと思います。
「自己組織化」とは、無秩序な世界が秩序を生み出す自然現象のことです。物質を構成する分子等はバラバラの状態であっても、外部からの制御や指示なしにやがて自然に集まり、より高度で緻密な構造を創り出していく。宇宙ではバラバラに散らばっていたはずの原子や分子が何億年かすると固まって星や銀河を形成しますし、その星の上では何もなかった大気中にいつの間にやら分子が集まって台風が発生している。雲から降り落ちる水の分子は雪になるとはどういうわけか綺麗な六角形の結晶を形成するし、ミツバチがせっせと組み上げるハチの巣もこれまた六角形です。土星の北極・南極にも、同心六角形の大気模様が確認されています。
生物の遺伝子は二重螺旋の構造物と決まっているし、遺伝子情報に基づいて生まれた生命は、種によって概ねこういう形に成長すると決まっている。そして命が尽きるとその体は維持できなくなって溶解し、微生物によってバラバラに分解され、再び分子状態に戻る。その分子もやがて何らかの形に再組織化されて、その後またバラバラに崩壊し、その後は再び…を繰り返す。その現象には終わりがありません。ともあれ、この宇宙の存在物は漏れなくこうした組織化と崩壊を繰り返すものであり、それは物質に限らず自然現象や、我々人間の行動や思考までもそうである、というのが現在の科学の最先端の自然観であるのです。
ちなみに来月10月はノーベル賞の季節ですが、日本からの受賞候補の中にはこの自己組織化を応用した「結晶スポンジ法」なる発明・発見をした科学者がいるそうです。どういう発見かというと、分子というのは実はその構造が永らく可視化できなかったそうで、顕微鏡で見ても小さすぎて見えない。精度の高い電子顕微鏡で見るには分子を結晶状態にしなければならず、多くの分子は液体や気体で存在するため、動き回ってしまって照準が合わせられない。これをどうにかして結晶の形に固定したかった。
そこで発明された「結晶スポンジ法」では、まずある特別なスポンジ状の構造物を作り、その中に気体や液体の物質を入れてやる。するとその物質の自己組織化が勝手に働いて、物質が分子構造の形でスポンジの隙間にはまる。それの状態からスポンジを外せば、分子構造がくっきり現れるという仕組みです。
科学者曰く、「幼稚園の園児たちが勝手気ままに走り回って、全然整列してくれない。そこで整列させたい形に椅子を並べ、そこにお菓子でも置いておく。すると園児たちはお菓子に釣られて自ら椅子に座ってくれる。園児は分子たちであり、並べた椅子がスポンジです。先生が命令しなくても、無理やり椅子に座らせなくても、条件を整えてやれば園児たちは自然に椅子に座るのです。これと同じ現象が分子レベルでも起きている」。
自己組織化は、その存在自体は既に知られていましたが、何が原因でそういう作用が起きるかは未だ謎です。その謎を解き明かすヒントがこの「結晶スポンジ法」にはありそうです。果たしてノーベル賞に選ばれるでしょうか。
以上の自己組織化の話と、算命学の宿命消化の話、共通点が感じられたでしょうか。自己組織化の反対は「自己崩壊」で、生物学の世界ではアポトーシス(=プログラムされた細胞の自然死)と呼ばれています。これは算命学の云う「淘汰」に当たります。そしてもう一つ、アポトーシスに至る過程としてオートファジーがあります。これは細胞が自らの一部を自食する作用のことで、これが嵩じれば自死になりますが、例えば骨細胞などが古い骨細胞を壊しては新しい骨細胞を作り、壊しては作り、を繰り返して我々は体格を維持しているように、生命維持に欠かせない更新を担っています。
「壊して作る」と聞いて真っ先に龍高星を思い出した人は、算命学をよく理解している人です。そこまで理解しているのなら、自己組織化や自己崩壊が算命学の宿命消化の風景とかぶって見えることでしょう。そこには共通した宇宙の法則があるからです。
今回の余話は、こうした観点から自己組織化を考え、望ましい宿命消化と正しい訓練について論じてみます。私が以前から注目しているハイパーソニック・エフェクト音楽についても言及します。
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