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算命学余話 #U37「人生の目標を探る」/バックナンバー

 算命学余話もはや一周年を迎えました。ご愛読の皆様には感謝申し上げます。購読状況を見ると、具体的な鑑定技術や範例を挙げた回に人気があるのは判っているのですが、私の意図としては算命学の思想面の説明を省くわけにはいかず、なぜかというと、他の占いはどうか知りませんが、算命学とは人はどう生きるべきかという生き方指南の思想であり、正直言って鑑定技術などなくても思想を知って実行できる人であれば、そう人生に迷うこともなくなるからです。
 私はこの世の人、前回の「余話#U36玄」を踏まえるなら、せめて私と何らかの肯定的な縁のあった人には幸せになってほしいですが、幸せの形態は人によって様々で、同様に人によって獲れる幸せと獲れない幸せがあるので、私はこれらの人々にせめて容易に獲れるものくらいは獲ってほしいと思って助言しているつもりです。そして獲れないものや獲るのが困難なものについては、諦める方向を提示する。そうでないと獲れるものまで獲れなくなるからです。
 二兎追う者は一兎をも得ず。もちろん困難や執着の末に目標物を獲得した時の幸福感は得も言われぬものではありますが、その幸福はその人にとって本当に不可欠のものだったのか、周囲の言葉や期待によって作られたまがい物の目標ではなかったか、というところは案外本人は気付かないものなのです。

 折しもソチ冬季五輪が開幕したばかりですが、スポーツ選手というのは、算命学的にいうと闘争本能、攻撃欲求の星を発揮している人のことです。この星を自己表現や目標の位置に持っている人はスポーツ選手として有利であり、戦時においては軍人や兵士として活躍できます。五輪の宣誓には「平和の祭典」とあるように、スポーツと戦争は対極に位置してはいますが、算命学的には実は同じものです。ただ舞台が違うだけで、スポーツの舞台は平和時、軍人の舞台は戦時というだけの差にすぎません。
 そういう意味で、スポーツ選手に適した宿命の人というのは、平時においてスポーツをやらないと闘争本能が消化できず、陰転して非行や犯罪に走ったりする危険性が高いのです。彼らを大人しくさせておくために、ひいては社会の安寧維持のために、スポーツは大いに奨励されなければなりません。

 というわけで、今回のテーマは人生の目標についてです。スポーツ選手のみならず、我々現代人は常に他者との比較・競争に明け暮れていますが、その競争の先にあるゴールや賞金、報酬や称賛は本当にあなたが欲しかったものなのでしょうか。現代人の間違いの一つは、メディアの普及で人間の価値観、もっと端的に言えば欲望が何か単一のものだと刷り込まれる傾向にあることです。
 ある財界人が今は株の買い時だと言えばみんなそれに倣い、あるタレントがこの服が次のトレンドだと云えばみんなそれを買う。子供を有名大学に進学させるのが幸福の条件だと思ったり、ガラス張りの高層マンションに住むのがステイタスだと思ったり、やたらと手の込んだ料理や菓子を食うのが豊かさだと思ったり、まあ世間の商業宣伝に踊らされている例は多々ありますが、算命学はこうした欲望の集中はおかしい、せめて五徳に合わせた五通りくらいには分散するはずだと考えており、そうすれば一極集中のような苛烈な競争などそうは起きないはずなのです。
 我々は本当に自分が欲しいものを見失って、欲しくないものを欲しいものだと誰かに思い込まされているのではないか。だからそれを手に入れた時はこんなはずではなかったと失望を味わい、もっと別のものをと際限なく欲望を膨らませては欲求不満に苦しんでいるのではないか。今回は以前#U8で紹介した回転法(循環法)を応用して、その人の宿命が示す人生の目標について考えてみます。

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