
頭の良い人の定義
米英がウクライナを使ってロシア(及びドイツも)の弱体化を図った今般のウクライナ戦争が、米英及びその同盟国の敗北に終わることを予言した『西洋の敗北』の著者エマニュエル・トッド氏は、昨年秋に同志社大学と広島大学に講演に来る予定だったが、体調不良のため急遽トッド氏と親交のある佐藤優氏が代役を引き受けた。その動画がネットに上がっているので見てみたのだが、金儲けを目的とした動画と違って広告も入らないし、90~120分と長時間でも全然飽きないくらい中身がぎっしりだ。大手メディアの薄い報道でモヤモヤしている人、宇宙人のように辻褄の合わなさに頭をねじれさせている人は、こういう種類の動画や発言で頭の中の霧がすっきり晴れよう。
詳細は本編をじっくり視聴してもらうとして(なに、宇宙人が要約しろ? まあできたらやろう)、宇宙人はいろいろ思うところがあったので備忘録までに書き記しておく。
周知の通り宇宙人はバカが嫌いだが、ではその逆の「頭の良い人」とはどういう人かと問われると、なかなか即答できなかった。しかしエマニュエル・トッド氏を見るに、頭の良い人とは概ね正しい「予言」若しくは「予測」のできる人ことだと思い至った。正しい情報を沢山集め、それを元に正しい分析と判断ができる。佐藤優氏もそうだ。学歴や資格は関係がない。「こういうことをすればこうなる」と断言でき、それが現実にそうなること。
トッド氏は確度の高い予言を人口統計分析から導き出した。1972年に書いた論文では既にソ連の崩壊を予言したが、それは当時のソ連の乳幼児死亡率と出生率から導き出した結論であり、20年後に実際そうなった。ソ連が公開していた人口統計は正確なデータだったし、その正しいデータを正しく分析したので「当たる予測」となった。要領は天気予報と一緒である。こうした本当に頭の良い人の予測を聞いておけば、不測の事態に右往左往することなく落ち着いて対応や準備ができる。命に係わる事態でも回避できるだろう。つまりは不幸を遠ざけることができる。だから人は頭の良い人に従ったり付き合ったりすることを善しとし、自分もまた賢い人たろうと教育を受けたり知識を増やしたりする。そのために中身の詰まった本を読む。(そうした作業が億劫どころか「楽しい」人が、算命学のいうところの「印」の人である。)
ところでこのトッド氏の論文、ソ連時代は禁書とされ、世に出たのはゴルバチョフのペレストロイカ期であった。しかし禁書というものをソ連という国はちゃんと管理していた。この世から抹殺するのではなく、ラベルを貼って国家機関の機密書庫に保管していたのだ。「一般国民には読ませるわけにはいかないが、国の運営を担う専門家には読んでもらわないと困る」ということで、しかるべき秘密機関にはちゃんとあったのである。
この発想は日本人には馴染みがないかもしれない。宇宙人もかつて知人に問われたことがある。「そうした都合の悪い本をなぜソ連は保管するのか。焼き捨てた方が手っ取り早いではないか」と。宇宙人もそう思ったが、ソ連・ロシアという国は常にそうするものなのだ。なぜかというと、ロシア人は「真理」に並々ならぬ思い入れのある民族だからだ、と宇宙人は漠然と考えている。嘘や偽物に対する根本的な不信感とでもいうのか、ロシアの歴史には数々の嘘や偽物がきら星の如く輝いているのだが、結果的にどれもバレてしまっている。バレるとそれまでのモヤモヤの辻褄がピシッと合うので、それが誰の目にも真実であることが知れるのだ。
嘘の寿命は短く、真実の寿命は永遠だ。ロシア正教的な永遠の観念がこの性質を後押ししているのかもしれないが、国家運営を担う上層部もこれに洩れず、「問題のある文書」ほど隠して取っておこう、なぜならここに真実が書かれているかもしれないから、という心境が一貫してロシアにはある。そこには世俗的な損得勘定はないように思える。金儲けのために邪魔な広告を差し挟み、その煩わしさを視聴者に強いても動画を見せたい、という発想とはほど遠い。日本人は今でも証拠隠滅すれば嘘を隠し通せると思っているようだが、ロシア人は「そういうことは過去に山ほどやったがいずれも失敗したからもうやらない」というスタンスだ。果たしてどちらが「賢い」やり方か。経験値が高いのはどちらか。
西側世界とは違ったかようなロシアの価値基準の一例を知っておくだけでも「ちょっと賢い人」になれよう。宇宙人の目には、欧米人が築き上げた価値基準の方が余程トンチンカンに映ることが多々ある。そのうちの一つとして、最近こんな話を聞いた。
防衛大学校卒の元自衛官作家がその理不尽に満ちた訓練時代を振り返って曰く、「偉い人というのは、訓練で苦しい思いをしている時にいやな顔をせずに手を差し伸べて助けてくれる人。こういう人を自分は尊敬するし、偉いと思う。地位や肩書や金のあるなしではない」。おお、素晴らしい価値基準ではないか。
一方でこんなことも言っていた。「防衛大学では先輩からさんざんしごかれたが、(理不尽な)しごかれ方をした後輩ほど、自分が先輩になった時に後輩に対してしごかなくなる。逆に先輩にやさしくされた後輩は、なぜか自分の後輩には厳しくなる。この順番が交互にやってくることの繰り返しだった」。ううむ、含蓄深い。なぜならよく犯罪心理学者が言うことだが、「犯罪者は子供の頃に親によって虐待されるなどの不遇をかこった者が多く、自分が大人になった時に親にされたのと類似の行為や犯罪を他者に繰り返す」というセオリー。これは無論欧米人の学者が提唱して今日の定説になっていることだが、果たしてこれは真実なのか? 元自衛官の供述とは真逆ではないか。或いは「幼少期」と「青年期」では違うということか。
いずれにしても宇宙人は欧米人が大声で「これが正しい」と提唱することには全面的に疑いの目を向けているよ。その中に真実もあるだろうが、それが本当に真実かどうかは、宇宙人自身の経験値と照らし合わせて判断する。決して鵜呑みにはしない。だって鵜呑みにするとじきにモヤモヤしてくるのだよ。そしてモヤモヤが晴れないうちは頭がねじれ上がったままなのだよ。早くスポンとねじれが取れてほしい。そんな縛られた状態は極力少なく生きていきたいのである。宇宙人にとって「自由」とは、かような盲目的な束縛から解放されることであり、それはつまり叡智と同義である。
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