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算命学余話 #U25「強星と濁り」/バックナンバー

 前回の「余話 #U24玄」で導入に使った苫米地氏の話がうまく算命学の理論に結びつかなかったようなので補足します。本来女性にないはずのY染色体が母体に見つかったという話です。
 苫米地氏の肩書は「認知科学者」ですが元の英語はcognitive scientistで、この認知というのは訳語にすぎず本来は「関数」という意味です。まだ日本語の訳語が「計算言語学」とか「機能脳科学」とか色々ある段階なので、和訳自体が定着してもいない新しい分野ということです。
 なぜ新しいのかというと、ここが大いに問題ありと私は思います。哲学の範囲に分類されることが多い思想界は近現代の流れで「構造主義」という1つのエポックに到達し、ドイツ構造主義が有名ですが、2つの大戦を挟んだ半世紀ばかりの間(私は哲学史の専門家ではないのでかなりざっくり話しますが)、学問としての哲学はこの枠組みで人類の営みや思考原理を説明しようという試みが続いていました。ところがどうやらこの理論では人間の行動や心理は説明しきれないということが判ってきて、多分未だに構造主義で頑張っている学者さんも多いかと思いますが、次世代の新しい枠組みとして「認知科学(関数主義)」がごく最近注目され始めたわけです。では何が新しいのか。

 構造主義というのは実に西洋人らしい発想で、かなり端折って言うなら、ある現象を研究するに当たってその現象だけにしか注目しないというものです。ひたすら現象を分析してデータを取ったり分別して名前を付けたりという作業です。具体的には、例えば現在の医学がこの一端を垣間見せてくれております。精神関連の病気にやたらと名前が付いた今日、やれ鬱病だPTSDだと病気扱いにしてマニュアル通りの投薬による対処治療を自動的に行うばかりで、根本的な治療や原因解明がおろそかになっている感が否めません。もっと卑近な例では、血糖値や胴回りといったメタボの基準ひとつとっても、正常値を逸脱しているからといって健康でないとは断言できません。どうやらこうした事態は、構造主義が長く君臨した学者の世界がもたらした弊害ではないかと私は考えています。
 しかし病気に限らず、現象だけをいくら観察したってその根本原因を探らなければ意味はないし、原因はあるはずです。そしてその原因は1つではなく複数が寄り集まって互いに作用し、同じ現象として現れてもその底辺は複雑な様相であって一様でない。ひとつの現象が玉突き事故のように次々と新たな現象を生むこともあれば、玉突きされた側が玉に対して反作用を起こすことだってある。だから現象ばかりに注目してもそれは氷山の一角であり、この現象が表に現れた背後にある複雑に入り組んだな世界にも目を向けなければならない。この背後にあるものをこれまた西洋人的発想で数値に表そうとして「関数」という単語が出てきたようですが、要は「相互作用」に着目しようという試みが認知科学ということらしいです。

 勘のいい人はぼちぼちピンときましたね。女性の体に本来ないY染色体が母体に見つかったという話は象徴的で、西洋人は男性の持つY染色体が女性の体に入っても「卵細胞止まりで男児の胎児にしか受け継がれない」と結論付けて長く疑わなかった。ところが皮肉にも構造主義のデータ収集癖が災いして大量のサンプルを解析したところ、この結論が正しくないことを認めざるを得なくなった。Y染色体は胎児への一方通行ではなく女性の体に逆侵入して痕跡を残している。つまり「一方向」ではなく「逆流」もありえるというわけです。
 逆流があるということは相互に混濁し、その作用は多岐に亘る可能性が広がります。原因と結果が実は逆でした、という事態だってありえます。従って構造主義はもう古い、次は認知(関数)科学で人類や諸現象の相互関係を解析していこう、という流れが思想科学の先端事情のようです。

 算命学を学んでいる皆さん、そして世の女性の皆さん。Y染色体の話を聞くまでもなく、物事が常に相互作用を起こしており一方向ではありえないことぐらい、とっくに知ってましたよねえ? よく男性諸君があれやこれやと理屈やデータをこねくり回してようやく達した結論に対し、その奥さんが「そんなの当たり前じゃない」と一蹴して呆れる姿を見かけますが、要するにこれですよ。女性はそんな真理は理屈を並べなくとも感覚的にとっくに知っているのです。しかし男性優位で永らくやってきた西洋文化においては、そんな女性の感覚をまさしく分析不能と切り捨てて顧みず、今般到達した「相互作用」の思想について「新しい」とか騒いでいるわけです。愚かしいですね。笑いましょう。

 ともあれ男性的な直線思考が女性的なループ思考へ移行してきている世界の潮流は、歓迎したいと思います。算命学の見地から言えば、物事の原因と結果は確かにあるけれど、その原因も結果も1つずつではなく、Aという原因が必ずしも隣のBという現象につながるとは限らず、NやRといった遠い現象の遠因になる可能性もあり、AだけではなくZという原因と結びついた時にだけFという現象が現れることもある。そして現象Fが生じたことでまた巡り巡ってAに作用が及ぶこともある。だから原因と結果は逆かもしれない。
 算命学の理解の浅い人はこの点の理解が不十分で、「司禄星があるからお金が貯まる」とか「調舒星があったら自殺だ」とか短絡的に考えがちですが、そんな単純な思考で算命学を語ってほしくありません。同じように「天将星があるから強運だ」というのも間違いです。算命学はしばしば強星という用語を使いますが、本来強星とは何を意味するのか。今回はこの点について考察してみたいと思います。

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