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令和しち年で頼むよ

 昭和の人間である宇宙人は昨今の日本語の発音というか、漢字の読み方、力点の場所に心地悪さを感じている。来年は令和七年だが、最近は報道でも7を「なな」と読む頻度が高く、「1977年」を「ななねん」と読むのはいいのだが、「1997年」は「しちねん」と読んでほしいのに、研修を受けているはずのアナウンサーが軒並みなナナ読みするんだよね。あんまりそれが画一的なので、まさかAIが学びやすいようにと放送協会からお達しがあって「しち」を駆逐する方向に誘導されているのやもしれぬと、宇宙人は勘繰るのであった。「いち」と「しち」と混同しないためとかもっともらしい言い訳してんじゃないの? 「イ」音は古代日本では神聖な母音なのだが。イザナギ・イザナミは全部イ音だよ。ナナじゃ安っぽいしご利益ないよ。
 宇宙人が勘繰り過ぎだ? なに、金儲けのためにいらないものばかり喧伝される世の中ではないか。ネットの広告は言うに及ばず、テレビなどは小窓の顔が鬱陶しいとわが周囲は皆口をそろえて十年前から不満を漏らしているが、なにしろ宇宙人の周りは標準的な地球人ではないのであるから(そもそもテレビをそんなに見ない面々)、もしかしたら彼らの不満の方が少数で、世間はあの邪魔くさく画面にのさばる芸人顔を歓迎している可能性はある。宇宙人が勘繰るに、芸能界にはあの小窓に一回顔が映るごとにギャラが増えるという取決めがあるのではないか。それで視聴者は見たくもない芸人のアホ面を無理やり見せられ、それに慣らされて、アホな人間の顔よりそうでない人間の顔の方が脳内から駆逐されていく。ほら、ナナ問題と同じだよ。一体誰の儲けのために大勢の沈黙する人々(大勢ではなく少数だ?)を不快にさせて免疫を下げたりキレやすい体質にしたりするのだよ。そんなやり方で儲けたい奴らなど八つに割かれて地獄へ行け、と容赦なく思っている宇宙人なのだった。呪いってこういうことだよね。我ながら了見の狭い見解ではあるが、大勢の人に忍耐を強いてまで自分の儲けを優先したい輩よりはマシだろう。皆さんはどうですか。全然不快になど感じませんか。

〽じゅうご、じゅうろーく、じゅうしーちとー、わたしの人生暗かあった…
〽ああ、じゅうななさいの、わーたーしー…
(※いずれも昭和の流行歌。宇宙人の了見の狭さを考慮しつつ歌ってくれ。)

 その他、以前から指摘してきたが、依存を「いそん」と清音にするのも気味悪い。「薬物いそんしょう」って言いにくくないですか。いぞんしょうの方がラクでしょう? 外国人には容易に真似できない連濁音は発音しやすくするために発達した日本人の知恵なのに、AIが賢くないばかりにわざわざ人間様がレベルを下げてやってる感じ。あと「奪う」のイントネーションが真ん中が山型なのもへん。「奪った」と過去形にすると言いにくいでしょ山型は。「奪う」は「尾行」と同じ下から上への上昇型のはずなのだが、もしかして中国資本に頭が上がらない報道業界が外国人におもねって「学びやすい」発音に故意に変質させているのではないか。中年以上の年の日本人はもう従来の日本語が浸みついているけど、子供などはこのAI風発音を標準語として脳内に刻んでしまうのではないか。そしてそれが「いい」や「標準」になるのだろうか。
 藤井総太八冠も「はっかん」をわざわざ「はちかん」と言い直したラジオがあった。なぜはっかんではいけないのか。「発刊」と混同するほど文脈近いとも思えぬから、やっぱり上からのお達しが? はっかんの方が勢いがあって強そうなのに。そのうち日本もニッポンが消えて二ホンだけになるのかな。漢字変換はニホンで打つと「二本」が先に出てきて安っぽい気分になるの。ニッポンなら一発で日ノ本が出るのに。ニュアンスって大事だよ。

 言葉の変化変遷が自然なものだったら宇宙人だって文句はないのだ。平安時代の日本語がいま通じないのは当然の変遷だし、もっと近い戦前の日本語だって古典ほど離れて聞こえても不自然とは思わない。でもAIは人間ではなく人工的な操作が可能だから違和感に気味悪さが加わるのだよ。誰かが何かの目的(まず間違いなく金儲け)のために恣意的に、というところがキモチワルイのだ。宇宙人は算命学者なので、自然の変遷と人工的な変遷とでは結果に大きな差が出ると考えている。人工は自然より圧倒的に弱く、寿命も短くて淘汰が早い。なぜなら人工は自然の土台の上に載っているのであって逆ではないからだ。レジリエンスが高いのは自然の方なのだ。
 ともあれ令和七年は「しちねん」で頼むよ。一年も続くのだから。年明けまであと一週間。

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