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算命学余話 #G102 「バランスを取れない社会」
(※当記事は『算命学余話』バックナンバーではありますが、ごく最近の記事であるため、タイトルから「バックナンバー」の文字を外します。ブログ「土星の裏側」には既に掲載済みです。10冊毎のマガジンとして組み入れます。)
前回の『算命学余話#G101「自己組織化を考える」』は長い文章になりましたが、算命学学習者が今後鑑定を実践していく上でのヒントになったかと思います。「我々は死ぬまでの数十年の間になんとかより良い人生を生きたいと考えていますが、よっぽど特殊な宿命でもない限り、そこそこ満足な人生にはなるのです」というくだりには、鑑定する側もされる側も安堵したのではないでしょうか。
自己組織化の話は分子レベルのミクロな世界にまでフォーカスしましたが、逆に巨視的な宇宙サイズに目を向けますと、ごく最近、宇宙の彼方にあるブラックホールが自転していることが観測結果から判明したそうです。算命学者であれば、この話を聞いて「やっぱりな」とほくそ笑んでいることでしょう。なぜなら、前回述べたようにこの世の事象は宇宙法則に則って「グルグル回る」のが常であるため、現代物理学では未だ解明できない天体であるブラックホールとても例外ではなく、「回って」いないはずがないからです。
専門家によれば、近年撮影に成功して話題になったブラックホールは、「大きいブラックホール」にカテゴライズされるものだそうです。その反対は「小さいブラックホール」で、ブラックホールは現在この二種類に分類されています。大きい方は銀河の中心に一個だけ存在し、小さい方は宇宙の各所に散らばっていて必ずしも銀河の中心になく、且つ銀河の中に幾つもあることが判っています。つまり「大きいブラックホール」と「小さいブラックホール」では性質が違い、性質が違うということは役割も違うということです。
ではどう違うのか。それはまだ科学では解明できておりません。しかし上述のように、算命学が「世界が回っている」という哲理からブラックホールの自転を当然のことと推測できたように、科学的証明より先に算命学の思想がブラックホールの大小の差について正しく推測することも可能でしょう。「大小」と来れば「陰陽」に比定できますし。学習者の皆さん、精進して宇宙の真理に到達して下さい。
巨大な宇宙の話のついでに、重力についても触れてみましょう。地上に暮らす私たちは、万有引力の法則によって漏れなく地球の重力に引かれています。引かれる先は地球の中心です。地球は、太陽やブラックホールに比べれば遥かに小さい砂粒のような天体ですが、その上に乗ってちまちま暮らす人間からすれば果てしなく巨大な惑星です。そんな巨大な惑星がガチで引っ張っているのに、どうして人間はひしゃげて圧し潰されないのでしょうか。それは、地球の重力と同程度の反発力が作用しているからです。
地球の重力が反発力に勝れば、人間は地球の中心に向かって圧し潰れます。逆に反発力の方が強ければ、人間は宇宙空間へふわふわと浮遊して地に足をつけることができません。つまり両者の力の釣り合ったちょうどいいバランスの所にいるから、我々は地上で圧し潰されることなく快適に暮らせるというわけです。
ここがポイントです。「バランスが取れているから快適である」。さあ前回の話と繋がってきました。前回の終わりに述べた、ハイパーソニックに係る文を以下に掲げましょう。
――我々は既に文明を進化させており、人工物を増やしてその中で快適を得ています。しかしその快適とは、真の意味での快適であるのかを、疑う必要があります。それは、西洋由来のドレミファ音楽が席巻している現世界において、我々人類が時間と財産を注入してもてはやしている音楽というものが、本当に人間の幸福や健康に寄与しているのかどうかを疑うことでもあります。――
ハイパーソニック・エフェクト音楽が生命や活力に加勢するものであるなら、その対極には死や、そこへ導く停滞や沈鬱があります。では世に溢れる非ハイパーソニック・エフェクト音楽は、死やそこへ導く停滞・沈鬱に加勢する音楽なのでしょうか。いえ、そこまでヒドイものであれば、さすがに人間は忌避しています。忌避せずこれを好意的に迎え入れているのは、「ないよりはマシ」な程度に生命や活力に寄っているからです。
しかしそれは随分微弱なもので、とても生命や活力を力強く後押しできるレベルではないので、この非力を補うために世の人々は「量を増やせばいいのでは」と安直に考えたようです。そして貧弱な音楽を音だけ増大させたり、合奏して重層に見せかけたり、自動機械に掛けて延々と聴かせたりして、今日の一般的な音楽が出来上がっている。それを我々は日夜浴びるように聴いているけれども、健康増進に繋がったとの実感はない。実感があったとしても、すぐにかき消えてしまって持続性がない。持続性がないから何度も聴く。その様相はまるで薬物中毒症状であり、中毒するということは、既に健康を損なっているということです。
とどのつまり、健康を損なう方向へ導いているのは、「ないよりはマシ」として側に置いたもの。本物ではない代替品か、安っぽいニセモノなわけです。現代社会の病理とは、こうしたニセモノや代替品で身の周りを隙間なく埋めることを奨励する現代文明の価値観に由来しているのではないか。ハイパーソニック・エフェクトの話と算命学を掛け合わせると、こんな風な推論が導き出されるのです。皆さんはどうですか。ピンと来ましたか。それともサッパリですか。
またしても前振りが長くなったのでこれくらいにして、今回の余話はバランスについて考察してみます。重力と反発力の間のバランスが釣り合うことで、我々は地上で快適に過ごせること。バランスを失うと不健康や不幸を招き、その先には死が待っていること。ニセモノの極致であるAIや、アミノ酸の添加なしには食品加工もできなくなった我々のイカレた食文化。「苦痛」を和らげるために服用した薬によって依存症を招いて更に健康を損ねる薬物の現場。芸能界の枕営業など、昨今の社会風潮や明るみになった不祥事にも言及しながら、どうすれば良かったのか、算命学思想に則って考えてみます。
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