算命学余話 #U15「鬱病を斬る」/バックナンバー
梅雨らしい天気が続いております。水不足が懸念されていた稲作地やダムもこの雨で被害が食い止められればよいのですが、あんまりザンザン降っても今度は土砂災害が心配です。今年は癸巳の年ですからある程度の水害は覚悟しなければなりません。備えあれば憂いなしです。河川の近くにお住まいの方は適度な備えを整えましょう。なに、自然災害はそう長くは続かないのでしばらくの辛抱です。算命学の理論では、この世界は木火土金水が次々にバトンリレーをして回っており、一つのアイテムがいつまでも居座って影響力を及ぼし続けるということはありません。逆に言えば、長く続く類の災害というのは、実は自然が引き起こしているのではなく、人間が主な原因なのです。
福島原発事故を引合いに出すまでもなく、自然災害によって引き起こされた事故は、その前後の人的ミスや不首尾によって被害を何倍にも拡大させます。人災は自然災害を凌ぐ力があり、一方で人の働きは自然災害を最小限に食い止める力もあります。
奇しくも当ブログで採り上げた『レニングラード封鎖』の事件は戦争という人災そのものを扱っておりますが、敵軍による包囲をみすみす許した自国軍の甘さや戦術のまずさ、上層部の責任転嫁体質、封鎖の中をかいくぐって運ばれた食糧をガメて飢えた市民に放出しなかった担当部局のエゴイズムなど、戦時でなくとも日頃から散見できる人間の無能と不正義、まさしく人災が餓死と人肉食はびこる地獄をこの世に招来したのでした。
しかしそんな劣悪な状況下でも人は知恵を働かせ、ある者は人から奪い不正を働き続けることで生き延びる一方、ある者は周囲の住民と協力してわずかな食糧を分け合い、河岸から人の鎖を作ってネヴァ河の氷を割り、バケツリレーで生活用水を確保するなど、一人では到底持ち堪えられない苦境を複数の人と連携することで乗り切っています。
同じ環境下にあって同じく生き延びた、両者のどちらが褒められるべきかは明白です。算命学では善悪を問わないのが基本ですが、それは持って生まれた宿命だけでは善悪の判断はできないということであり、その人が人間として賞賛されるか非難されるかは、宿命という持って生まれた才能そのものよりは、その才能を駆使してどういう生き方を選択し蓄積してきたか、ということに掛かっていると考えているからです。
さて今回のテーマは鬱病についてです。といっても鬱病を宿命で判断するというものではありません。算命学が鬱病患者に対していかに厳しい態度をとっているかという話ですので、鬱病経験者には痛い内容になります。うっかり読んでしまった人が鬱病を再発する恐れがあるので、今回は購読料を若干上げて防護柵とします。運勢鑑定の依頼人の中には鬱の相談をされる方もおられるので、鑑定者を目指す人は知っておいた方がいい内容かもしれませんが、鑑定技術ではなく思想的なお話です。
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