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知的人物はいちいち驚かない

 ロシア語界隈には「チェーホフの斧」という概念がある。チェーホフの某作品の中に、壁に掛った斧がチラッと視界に入る描写があるが、その後この斧で殺人が起きるという展開になることから、後に起こる悲劇的な出来事を暗示するさりげない描写をロシアでは「チェーホフの斧」と言い慣わすのだ。読者たちの暗黙の了解事項で、日本語の「伏線」に近いが、伏線は必ずしも悲劇性に限定されない。ともあれ「チェーホフの斧」も「伏線」も、わざとらしくてはいけない。さりげなく、その時は何とも思わずに通り過ぎてしまうが、後になって「あれだったのか!」と読者に思い起こさせるのが上等とされる。
 宇宙人がサスペンスものの小説やドラマを好まないのは、伏線がどれもわざとらしいからである。映像は特にわざとらしい。役者がわざとらしいし、役者に指示を出している演出と脚本及びカメラワークがわざとらしい。これに加えて原作の小説もわざとらしいとなると、もう見るべきところはない。犯人が誰かすぐに判ってしまうと困る推理ドラマは、真犯人が誰か判らぬようわざと別の容疑者を際立たせたりするが、その「わざと」がもう見たくないのだ。回りくどくていかん。いや判っているよ、そうやって回り道や伏線を散りばめて強調しておかないと、画面を漫然と眺めている視聴者に気付いてもらえないから敢えてそうするしかないのだろう。それでも「わざと」らしく見せない工夫というものがあるはずだ。工夫してくれれば上等になって、宇宙人だって観るのにさ。

 そんな宇宙人が珍しくお勧めするサスペンス小説をご紹介しよう。早瀬耕『未必のマクベス』(2014年)。2010年頃の香港を舞台にした長編企業サスペンスだが、それほど古さを感じない。企業ものといえば「半沢直樹」くらいしか楽しんだ記憶のない経済音痴の宇宙人であるが(音楽と、香川照之の顔芸がよかった)、『未必』の筆致は読みやすく、無駄がなく、最後まで集中できた。何より伏線がすっきりしていて、登場人物の言動にも過不足がない。無駄を排除しているのにこのボリューム。昨今の本屋に溢れる、水で薄めた酒のように内容希薄でページ数だけ稼いだような書籍とは違う。「チェーホフの斧」がそれと気付かれない配慮の下、所々に配置されているが、そうした中で敢えて気付かれるような置き方をしているものを発見すると、何やら心がざわめく。つまり「気付かれるような置き方」を故意にするからには何か別の意図がある、と思わせる。そういう不安要素を二重三重に張り巡らせたテクニックが秀逸な作品である。
 宇宙人は頭のいい人が好きなので、まずこうしたテクニックを持つ作家に好感を持つし、加えて登場人物の男女がいずれも知的な人物として描写されているのも心地いい。世の中、おバカキャラを持てはやす風潮が長く続いており、宇宙人はウンザリしている。どうして知的な人物をバンバン出してくれないのだ。おバカなんか見ても嬉しくないのだよ。一体どんな視聴者に配慮してこんな奴らを並べるのやら、制作側の気が知れぬわ。『未必』は作者が知的だから、作者の分身である登場人物たちも当然知的になる。娼婦とかも出てくるが、学がなくても会話に知性が滲み、倫理や情も備わっている。無駄な会話はない(あっても描写説明だけで簡潔に済ませる)し、わざとらしい驚きとか泣きとかもない。逆に驚くような事実を耳にしても、相手に気取られないよう澄まして会話を続ける。こうしたシーンでは読者も同時に驚きを感じるが、それにいちいち反応しないで冷静に相手の出方を見る、という主人公の態度に自然と同調していく。その同調が心地よいのだ。共感を強いられるのではなく、心の動きが同期する。知的な人物に自分がかぶさる。これが作家の高度なテクニックでなくて何であろう。

 最近は「〇〇ポルノ」という新語が巷間に出回っているようだが、ひと昔前に「お涙頂戴もの」と呼ばれたドラマや映画を昨今は「感動ポルノ」と揶揄するらしい。その最先端のテーマは、性的マイノリティはもう古くて、今や障碍者の葛藤だという。昔はせいぜいがん患者の闘病ドラマくらいしかなかったが、視聴率や興行成績を過度に追及する近年の風潮がこうした重いテーマをエスカレートさせ、却って作品ジャンルを安っぽくしている。廉価多売というやつだ。だから「ポルノ」なのだ。重いテーマを扱うなら、金儲け色をもっと巧みに隠す工夫がいる。そういう工夫が、上述の『未必』に駆使されるような工夫であり、宇宙人が嫌うわざとらしい演技と伏線のドラマに欠ける工夫なのである。
 とはいえ、サスペンスものは一度読めばそれで終わりだ。謎解きは済んでしまっているから、二回目以降は一回目のようなスリルは味わえない。この弱点故に宇宙人はサスペンスを好まないのである。心に響く小説はその後何度でも読みたくなるし、何十年経ってもまた読みたくなる。サスペンスはそれが難しい。しかし『未必』は良かった。なのでこの作家の別の作品を読むことにしよう。


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