算命学余話 #U28「三合会局と遷宮を考える」/バックナンバー
伊勢神宮をお参りして、参拝者から色々な話を聞くことができました。例えば「神無月である十月には伊勢の神様は出雲での会議に出席して自社にいないのでは」との疑問について、旧暦である神無月と現在の十月はひと月ほどずれているから不在だったのは九月だとか、神様の世界は伊勢系と出雲系に分かれていて出雲会議に出席するのは出雲系の神々だけだとする説とか、色々な考え方があるようです。
また参拝の時期についても、遷御の儀が行われたのは今年十月初旬なのに、「今年は式年遷宮」との言葉に惑わされて遷御の儀より前にはやばやと参拝してしまった客も多いし、かといって遷御の儀の前と後で有難みに差が出るというわけでもないし、いや参拝するなら神様が新居に定着した来年こそベストシーズンだとの説もあり、しかし遷宮の行事は8年前からずっと進めてきたのだからこの8年間のいずれの年に参拝してもそれぞれに「新しい」気分を味わえるとの説もある。
つまり式年遷宮に拘わらずいつ行ってもいい、要するに年がら年中参拝させたい業界の思惑に国民はまんまとはまったという結論に達するのでした。神様もやるなあ。でも経済効果は絶大だから、アベノミクスなど人間があれこれ頭をひねって考え出した経済政策なんかよりよっぽど効率的ですね。しかも千年以上前からやってるし。当時は経済学なんかなくても神様の思惑で経済はすいすい回っていたのです。しかもそのことに日本人自身は気付かず、ただ無邪気にお参りや旅や食べ歩きをして愉快にすごしただけ。
こうした無意識の営みこそが人間の幸福を保証するものなのです。人間が意図的にあれこれ目論んでもなかなか思惑通りにはいきませんが、神様の所業と比べると人間の知恵の浅さが浮き立ちます。お宮に座っているだけで経済効果をもたらす神々に日本人は感謝し、日本に生まれた幸運を噛みしめるべきです。
さてその伊勢の式年遷宮は二十年に一度行われますが、今年は出雲大社でも六十年に一度の大遷宮の年に当たりました。ここに何か関連があるのでしょうか。
今年は癸巳年です。二十年前は癸酉、四十年前は癸丑で、六十年前は再び癸巳年に戻ります。伊勢の遷宮は毎回癸の年に行なうということですが、癸というのは空間を表す十干の最後尾を司り、物事の終わりやけじめ、次の一旬を始める前の準備段階といった意味があります。そういう意味で、「参拝するなら遷宮の今年ではなく、神様が定着した来年が良い」という説は根拠があるようです。
来年の甲年は物事の最初を司りますが、前回「刑」の話で触れたように、物事の最初というのはその後々まで影響を及ぼすので、前年(癸年)から万事整えて臨むスタート(甲年)は吉を呼ぶと考えられています。当ブログでも新年予想で「停滞していた事象が今年(癸年)でひと区切りつき、心機一転して翌年に臨める」と述べましたが、逆に言えば今年中にけじめをつけないと、次の一旬にまで悪い影響が持ち越されますよということです。
そして地支の巳・酉・丑ですが、算命学ではこれを三合金局と呼び、金性の旺地である酉を中心に正三角形を形作る組合せとして、強力な金性のパワーを示しています。
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