【08】自分の価値観に従って生きる
自分を大切にするということは、自分を満たすことであり、そのためには
(1)自分の価値観
(2)自分の感性
の2つに従うことが大切であるという話を前回しました。
今回は、(1)の自分の価値観に従うことについて、よくある問題を取り上げ、解決策を探ります。
自分の好きなことをやれない時
自分の価値観に従うことは、すなわち自分の好きという感覚に従うことで、言い換えるとやりたいことをやるということでもあるのですが、いつでもどこでも自分のやりたいことができるわけではないというのは多くの人が経験していることでしょう。
たとえば、数学は嫌いだけど、現在の学校教育では数学の授業だけ休むわけにはいかない、とか。
今度の家族旅行の行き先、自分はヨーロッパにしたかったけれど、かかる金額を考えて国内旅行にした、とか。
こういう時、確かに目先の状況だけ見ると、あなたは好きなことができていないように感じるかもしれません。
でも、極端な話、本当にそうしたければ、数学の授業だけ休んでもいいですし、ヨーロッパ旅行を決行してもいいわけです。
「いや、できるもんならそうするよ、できないんだよ」という声もあるかもしれませんが、なぜできないかというと、おそらく後先のことを考えたからのはずです。
後先というのは、たとえば「数学の授業には出たくないけれど、将来のために学校は卒業したい」とか、「ヨーロッパに行きたいけれど、それで金銭的に切迫はしたくない」ということですね。
そう見ていくと、あなたには「卒業はしたい」という価値観や、「金銭的に切迫はしたくない」という価値観もあって、いくつかのやりたいことのうちそちらを選んだのだとも言えます。
そう、やりたいことができなかったのではなくて、もう一つのやりたいことの方を選んだのですね。
好きなことをやれないと感じる時、その視点を持てると、見え方が変わり、結果として状況は同じでも得られる満足感、充実感が変わりますし、そのように捉えることで同じ行為を自分を満たす行為へと変えることができます。
自分の価値観を見失っている時
前述したように、自分の価値観とは、すなわち自分の好き・嫌いのことで、やりたいことをやるということなのですが、自分の好き・嫌いがよくわからない、あるいは、他人や社会常識といった自分のものでない価値観を自分の価値観と思い込んでしまっている、ということもよく起こります。
そうなる原因はさまざまにあると思いますが、一因として、私たちの多くが、大人になるまでの過程で、「好き・嫌いだけで判断してはいけない」「自分のことだけを考えていてはいけない」「人に迷惑をかけないように」というようなことを教えられて育ったという環境の影響が挙げられます。
自分の好き・嫌いがわからない場合も、自分の価値観でないものを自分の価値観と思い込んでいる場合も、いずれも、あまりに長い間、自分の感覚を無視してきた結果として、そもそも自分の価値観を感じるという回路がアクティブに動かなくなってしまった状態だと考えるとわかりやすいのではないかと思います。
たとえばずっと幼い頃から憧れていた職業に就けたのに、全然幸せを感じられないという場合、その職業に憧れたのは、もしかしたら親や兄弟、世間一般の価値観からで、あなた本人の本当の価値観ではなかったのかもしれません。
もちろん、幸せを感じられないのは、職業のせいだけでなくさまざまな原因が絡み合っているはずで、自分が本当にやりたいと思える職業を見つけて転職すればいいという単純な話ではないのですが、少なくとも生きる喜びを感じられていないという状態は、自分の価値観に従っていない何かがあるという一つの指針にできます。
そういう人は、どうやら自分の価値観と違うことをしてしまっているらしいことがわかっても、かといって何がしたいかわからない…というジレンマに陥ることも多いのですが、そういう時におすすめしたいのは、日常の小さな一つ一つの選択について、「これは自分の本当にしたいことか?」といちいち意識的に自分に問うてみることです。
たとえば飲み会の席で「とりあえずビール!」といつも何にも考えずに注文しているけれど、今日の最初の一杯、飲みたいのは本当にビールでしょうか? ビールだとしても生ビールでしょうか? 瓶ビールでしょうか?
シャワーよりお風呂に浸かった方が体が温まっていいとよく言われているけれど、今夜、あなたが心からやりたいのはお風呂に入ることでしょうか? それともシャワーで済ませることでしょうか? あるいは、本音はもう寝てしまいたいのでしょうか?
そうやって日常の行為一つ一つに対して自分の好き・嫌いを丁寧に問うていくことで、少しずつその部分の回路が強固になって、やがて自分の好き・嫌いを自然に感じられるようになってくるはずです。
理想は、「したい」と感じたことを実行に移すことですが、それはまた次のステップですから、まずは自分が何をしたいかを感じて、その価値観を認めることが最初のステップです。
最後に、動作学的にとても大事なことは、自分の価値観、つまり好き・嫌いは、固定されたものではない、ということです。
そもそも生き物は、絶え間なく揺らいでいて、その揺らぎの中にあることこそが生きているということ。
だから、昨日は好きだったけど今日は嫌いというのもあり、というか、あって当然なんですね。
前言を撤回することにはマイナスのイメージがあったり、一つのことをブレずに遂行することにかっこいいイメージがあったりするかもしれませんが、動作学的には前言撤回も一貫性のない言動も、むしろ生命(いのち)が輝いているという証拠です。
昨日はやりたかったけど、今日はやりたくない、それでいいのだという前提で、今この瞬間の自分の感覚が、今この瞬間の自分の価値観は何であると伝えているか、ぜひ心を開いて感じてみてください。