【04】「自分が変わると人生が変わる」の仕組み
まずは自分に矢印を向ける
私たちの世界では実にさまざまなことが起こりますが、身近な日々の中で直面する問題の多くは、(1)自分自身のこと、(2)他人との間で起こること、のいずれかに分類できるのではないかと思います。
それらの問題について、動作学というレンズを通して見るときの大前提は、ある人のアウトプット(発言、行動、感情、パフォーマンス、症状など)は、その人個人と、その人を取り巻く環境の掛け合わせで発生している、ということです。
図にするとこんなイメージ。
ここでポイントとなるのは、Aさんから出てくること(言動や感情、パフォーマンスや症状など)は、Aさんという個人だけに100パーセント原因があるということはなく、また、Aさんの周りの環境だけに100パーセント原因があるわけでもない、ということです。
まずはその前提で、Aさんを自分自身に置き換えて、今ある問題を見てみていただきたいのです。
ここでは、よく耳にする話をいくつか例として挙げてみます(起こっている出来事は太字【A】、環境的な要素は太字【B】で表記します)。
「自分の仕事が評価されない【A】のは、上司の価値観が古い【B】せいだ」
「夫が仕事ばかりでかまってくれない【B】から、寂しくて過食してしまう【A】」
「部下を一所懸命育てているのに手応えがない【A】のは、部下の能力が低い【B】からだ」
「いい仕事に就けない【A】のは、世の中に年齢に対する偏見がある【B】せいだ」
…どうでしょうか。
確かに、太字【B】で書いたような環境的な要素は、太字【A】の出来事(アウトプット)の原因のひとつではあるでしょう。
でも、すべてのアウトプットは「個人×環境」の掛け合わせで出てくるものですから、実際には何かひとつの外部の環境だけがその出来事の原因になっていることはないんです。
それなのに問題の原因を外の環境のせいだけにすることは、「個人×環境」の個人(自分)への視点がまったくない、つまり、自分の人生で起きる出来事を他人任せにしている状態と言えます。
自分に目を向けずに外の環境のせいにするのは、ある意味ではとてもラクなんです。何かのせいにしていれば、自分に責任はない=自分は何もしなくていいわけですから。
でも、それって、何もしなくていい、責任も持たなくていいという気楽さと引き換えに、自分の人生に自ら変化を起こせる自由を諦めてしまっているとも言えるんです。
だから、もし今、望まない状況にあって、それを変えたいと思っているのであれば、まずは自分で変えられることのほう、つまり「個人×環境」における個人(自分)のほうに目を向けることが第一歩。
自分のほうに目を向けるということは、起こっている出来事がなんであれ、自分にも責任があると思って見てみるということです。
もちろん、「個人×環境」で物事が起こるわけですから、自分だけに責任がある=自分が悪い、とすべての責任を背負い込む必要もありません。
責任という言葉はちょっと重たく厳しく感じる人もいるかもしれないので、言い方を変えましょう。
「起こっている出来事に対して自分のほうに目を向けて自分で責任を持つ」ということは、「自分の人生に起こる出来事を人任せにせずに自ら変えていける自由を取り戻す」ということです。