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カルロ・ロヴェッリ「世界は「関係」でできている 美しくも過激な量子論」(NHK出版)

読書の所感メモです。「両義性と循環」、「死にゆく生」、「子どもの将来」を読書テーマとしています。


なぜ読んだか

筆者の前著を読んだ時に、世界を関係として・過程として捉えるという、まさに私がとりたい方法について記述がありました。

新作である本書は、そのタイトルからしても、私にとって参考になるだろうと予想しました。

何を学んだか

私の出発点である「空」の認識に、筆者は量子重力理論から辿り着いた。
量子とその関係論的な性質を理解しようと文献を読み漁っていた頃、龍樹の「中論」と出会い、「空」を知って衝撃を受けたといいます。

ナーガールジュナの視点は、決して形而上学的な奇想の産物ではなく、むしろ中庸である。そこには、あらゆるものの究極の基礎を問うことはまったく無意味だ、という悟りがある。
だからといって、探索の可能性が閉ざされるわけではない。むしろ逆で、自由に探索できるようになる。ナーガールジュナは、この世界には実体がないとするニヒリストではなく、自分たちは現実について何も知り得ない、とする懐疑主義者でもない。現象の世界こそが、探索し、じょじょに理解を深めていける世界なのだ。わたしたちは、その一般的な特徴を見つけることになるかもしれない。だがそれは、あくまでも相互依存と偶発的な出来事の世界であって、そこから「絶対的な存在」を引き出そうとするべきではない。 何かを理解しようとするときに確かさを求めるのは、人間が犯す最大の過ちの一つだ、とわたしは思う。知の探究を育むのは確かさではなく、根源的な確かさの不在なのだ。自分たちが無知であることを鋭く意識するからこそ、疑いに心を開いて学び続け、よりよく学ぶことができる。それこそが、一貫して科学的な思索──好奇心と反抗と変化から生まれた思索──の力だった。哲学的にも方法論的にも、知の冒険の碇を下ろすことができるもっとも基本的な、あるいは最終的な定点は存在しない。

p.155

遅ればせながら私も「空」の認識を得ました。そして「両義性と循環」をテーマに、主客を分別しない分析方法を探していました。
ここで、量子論に辿り着いた自然科学の方法は、私の求めていた関係を記述できる方法だという確信を得ました。

量子力学の解釈

量子論は「量子の重ね合わせ」、「量子干渉」や「量子もつれ」という奇妙な現象を観測しています。

これの現象の解釈として様々な仮説があります。
例えば「多世界解釈」、「隠れた変数理論」、「QBイムズ」です。

本書によれば、前者2つは不確定性を受け入れず、代わりに多世界のような新しい現実を作り出す。また、「QBイムズ」は観測者がまるで外側の立ち位置にあり、観念論に陥ると指摘します。そうではなく、観測者自身も、観測されて量子論で記述されるのではないかと。

本書は、関係論的な解釈を提示します。
科学者=観作者も自然の一部であり、量子論は「自然の一部が別の一部に対してどのように立ち現れるか」を記述するのだと。

思うに、わたしたちは量子論を通して、あらゆる存在の性質、すなわち属性が、じつはその存在の別の何かへの影響の及ぼし方にほかならない、ということを発見した。事物の属性は、相互作用を通してのみ存在する。量子論は、事物がどう影響し合うかについての理論である。そしてそれは、現在わたしたちの手元にある最良の自然の記述なのだ。

p.89

そして、関係論的な解釈は次のような答えを出しました。

「対象物の属性は相互作用の瞬間にのみ存在するのであって、その属性が或る対象物との関係では現実でも、ほかの対象物との関係では現実ではない場合がある」と。

量子論からの示唆

量子論は近視眼的な日々の経験からは遠く、日常生活にとって直接の役には立たないと指摘しつつ、問いの表現を変える示唆があるといいます。

たとえ日々の直接的な経験からは遠いとしても、量子世界の性質の発見はあまりに革命的なので、心の本質などの未解決の大問題とまったく無関係だとは考えにくい。なぜなら、心の働きをはじめとする未解明な現象自体は量子現象でないにしても、量子の発見によってわたしたちの物理世界や物質の概念が変わり、発する問いの表現が変わるからだ。

p.160

ここから本書は意味論や認識論の領分へと足を踏み入れます。

例えば、相互作用と進化の2つの概念で「意味」を理解することができるといいます。

情報は、生物学でもいくつかの役割を果たしている。さまざまな構造や過程が、自身と同じものを何億年、時には何十億年にもわたって再生産しており、進化のゆっくりした流れだけがそれを変えていく。このように安定した再生産が行われるのは、主としてDNA分子のおかげで、DNAは祖先と似たり寄ったりなのだ。つまりそこには、悠久の流れを超えた相関、すなわち相対情報が存在する。DNA分子は情報をコード化して伝えていくが、情報がここまで安定していることは、生物のもっとも顕著な特徴といえるだろう。
ところが情報は、これとは別の形でも生物学と関連がある。というのも、生命体の内側にあるものと外側にあるものの間に相関があるからで、このような相関のほとんどは、生命体にとって特に意義があるわけではない。ところがなかには、ダーウィンの理論で定義された妥当性の意味、すなわち生存や繁殖に有利という意味での、生命にとって意義ある相関が存在する。

p.168

この、生存にとって「妥当な相対情報」を第一歩として、何かと何かを結びつけながら多様な意味が広がっていきます。

また、私たちの認識は内側の視点だと指摘します。

外側からの視点は、存在しない視点なのだ。この世界の記述はすべて内側からのもので、外側から観察される世界は存在せず、そこには内側から見たこの世界の姿、互いを映し合う部分的な眺めしかない。この世界とは、相互に反射し合う景色のことなのだ。

p.177

そして、心の本質についても、二元論、観念論、唯物論に限られない選択肢を提示する。心的現象も複雑な自然現象であると。

所感

方法論について示唆を得られただけでなく、「死にゆく生」というテーマでいずれ構築したい価値体系についても示唆を得ることができました。

量子論が「空」の認識に辿り着いたということは、私が行いたい「両義性と循環」の分析は自然科学的方法によって記述できるという確信を得ました。

私の問題にとっては関係論的な解釈が正しいのかどうかは関係がありません。事実として関係を記述できていることが重要です。

また、「妥当な相対情報」は、私の出発点であるニーチェの意味の哲学と重なるのではないかと思います。そして相関の連鎖によって、意味の体系が広がっていくのではないかと。

そして、興味の湧く分野が増えてしまいました。
ダーウィンの進化論です。

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