見出し画像

音楽随筆集「冬の花」宮本浩次

 冬の色々を考えているうちに、「冬の花」に行き着いた。

 チバユウスケの訃報に触れた日の早朝、The Birthdayの曲を聴きながら涙を流していた。子どもたちが起きてからもまだそれは続いた。
「好きな歌手が亡くなったんだ」と言っても、子どもたちは「そうなんだ」くらいの反応しか見せなかった。どれほどショックを受けていようが、一人の親としてしっかりしなければいけない。悲しいからといって仕事や親を放棄するわけにはいかなかった。

 その日の空はやけに青くて、空気も乾燥していて、やたらと喉が乾いた。The BirthdayやTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTやROSSOの曲が頭の中で鳴り続けた。上司にボロクソに怒られようと、子どもたちに冷たくあしらわれようと、流れることもなかった涙は、簡単に溢れ出てきた。

「55歳で死んでしまった」ではなく、「55歳まで生き続けてくれた」と思うようにした。
 2009年にTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTのギタリストであったアベフトシが亡くなってから、ミッシェルの曲を聴けるようになるまで12年かかった。同じことを繰り返したくはなかった。チバの声を鳴らし続けたかった。いつまでもいつまでも涙にすがりついていたくはなかった。

 チバではない別の声が聴こえてきた。
「悲しくって泣いてるわけじゃあない 生きてるから涙が出るの」
 宮本浩次「冬の花」の一節であった。

泣かないで わたしの恋心
涙は"お前"にはにあわない
ゆけ ただゆけ いっそわたしがゆくよ
ああ 心が 笑いたがっている

宮本浩次「冬の花」より

 チバの訃報を聴く前、エレカシと宮本浩次を集中して聴いていた。慣れない涙を流した後で「笑いたがっている」と心が求めたのかもしれなかった。

 録音機器のない古い時代、一人の歌い手が亡くなってしまえば、二度とその声を聴くことはできなかった。今では、残された楽曲と歌声を何度でも再生できる。改めて聴き直して好きな曲を増やしていける。The Birthday「息もできない」の長いアウトロの中で、タタタタと響くスネアドラムの音が、駆け足で去っていくチバの足音に思えた。

 宮本浩次「冬の花」の動画を見ると、車に乗った宮本浩次が運転しながら笑っていた。花をばらまいていた。なんだかおかしくなってこっちも笑えてきた。笑いながら涙が出てきた。またThe Birthdayに切り替えて「夢とバッハとカフェインと」を聴いた。少し涙がおさまってきた。喉が乾いてきた。何か好きな曲との関わりを書き残しておきたいと思った。チバの声を聴きながら宮本浩次「冬の花」の歌詞の一節が思い浮かんだことを書こうと思った。それで救われたことを書こうと思った。これからも、自分と何かの曲との関わりを書き続けていこうと思った。

 訃報の二日後、仕事から帰った後、The Birthday「ROKA」を聴きながら着替えていた。娘のココが「誰の曲?」と聴いてきた。「亡くなった人の。今日はずっとこの曲が頭の中で鳴っていた」と答えると「パパ、この人好きだったからね」と言ってくれた。

(了)

シロクマ文芸部「冬の色」に参加しました。
元々新シリーズ「音楽随筆集」開始予定だったのを前倒しで始めてみました。


いいなと思ったら応援しよう!

泥辺五郎
入院費用にあてさせていただきます。