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異想随筆集「カーテンズ・カーテン、ガーデンズ・ガーデン」(全文読めます)

 カーテンが発光し始めたので、カーテンの陽射しを遮るためのカーテンを買ってきた。

 うちの和室は日中、とても強烈な陽射しが窓から射し込んでくる。真冬であっても、晴れた日であればその陽射しの暖かさだけで暖房いらずである。そこで過ごす際にはカーテンを閉める。しかし先日、カーテンを完全に閉め切っているのにも関わらず、部屋の中が眩しかった。おかしいなと思って確かめてみると、カーテンそのものが発光していた。日光のような暖かい陽射しを、カーテンそのものが発していた。

 子どもたちが学校から帰ってくる前に、和室で少し横になる習慣のある私は慌てた。眩しすぎる。タオルを顔の上に置いたがそれくらいでは眩しさは変わらない。そして暑い。真冬であるにも関わらず、クーラーをつけたくなるほどの暑さになっていた。

 夕方になり、陽が沈むと同時にカーテンも発光を止めた。

 翌日、私はホームセンターで遮光カーテンを買ってきた。発光するカーテンを隠すために、カーテンの前に新たにカーテンを設置した。それでどうにか二重の日差しは遮ることができた。

 カーテンズ・カーテンという状況になってふと思い出したことがある。ガーデンズ・ガーデンともいえる現象のことだ。関西のとある田舎、泥渕村に石塀屋敷というかつての武家屋敷がある。そこには質素ながら美しい日本庭園があるのだが、ある時その庭の中心部に小さな建造物が出現したという。人が入れるほどの大きさではなく、ミニチュアサイズのその馬小屋のようなものの床には、藁も敷かれていたという。

 防犯カメラのような物は設置されていなかったが、人の入り込んだ気配もなく、周囲の地面も乱れてはいなかった。屋敷の者たちがその小さな馬小屋の始末に困っていたところ、雨の日に溶けるように消えていったという。

「人が屋敷の中に庭を求めたように、庭自身が自分の中にも庭を求めたのではないか。庭が求める憩いの場とは、庭とは正反対である建物だったのではないか」と、屋敷に滞在していた文人が語ったと伝えられている。漂泊の俳人であった彼の残した日記にも同様のことが記されている。

 庭が庭を求めたように、カーテンもカーテンを求めて自ら光ったのかもしれない。わざわざ遮光カーテンを買ったというのに、数日後にはカーテンの発光はおさまり、二重に閉められたカーテンによって、和室は真冬らしい寒々しい部屋となってしまっていた。

(了)

※泥淵村やら石塀屋敷やらは架空の地名、建造物名です。


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