「憧れの文芸部部長にレモンの汁を目に垂らされる日常」#シロクマ文芸部
レモンから絞られた汁が僕の目に垂らされていく。憧れの文芸部の部長である彼女の実験台にされる日々の中で、本日の僕はレモン汁を目に入れるとどうなるのだろう、という彼女の素朴な疑問に付き合わされているわけだ。
「中年男性が中年男性に拷問をしているところを書いてるの。目にレモンを垂らすところで『目をつぶるんじゃない! じっと俺を見ておけ!』ていう台詞を思いついたんだけど、実際にやってみるとどんな感じなんだろう、て思うじゃない」
「沁みます。痛いです。目を開けていられないです」
「でも我慢してじっと私を見て。見つめ続けて」
「これはラブシーンですか?」
「拷問の場面って言ってるでしょ。目を逸らさないで。泣かないで」
「涙は勝手に出てきます。レモン汁が垂らされてるんですから」
「つらい? 痛い? 気持ちいい?」
「つらいです。めっちゃ沁みます。早く洗いたいです」
「眼球舐め、は余計危ないかな」
「今ものすごく怖い独り言言ってませんでした?」
「分かった。新しいレモン汁で古いレモン汁を洗い流してあげるから」
「痛みの鮮度が増した!」
何かが降りてきた部長は執筆モードに切り替わり、僕の悲鳴をスルーしてノートに筆を走らせている。やがて完成した新作はなぜか料理小説となり、レシピ本の隣に並べられることもあった。あくの強い性癖を持つ中年男性同士が、食材を用いた拷問を試しているうちに新しい料理を発明し、全世界に広まっていくという話らしい。彼女の作品を読むことを禁じられている僕にまで、各所で話題になっているその本の内容の一部が耳に入ってきてしまう。一人の男子高校生の涙がベストセラーの原料となっていることを、世間の人はまだ知らない。
文芸部の部室に入っていくと、部長は「ちょっと噛んでいい?」と聞いてきた。中年男性の吸血鬼と中年男性吸血鬼が対決するシーンを書いているのだという。
「甘噛みですか」
「たくさん血が出るまで噛みたいけど我慢する振りはするから」
「我慢する振りをしようとしている時点で我慢できてません」
「交代で君も噛んでもいいよ。先に噛む? はいレモン」
僕はレモンに齧りつく。汁が飛んでまた目に入る。沁みる目で部長を見つめ直す。
「レモン噛んでも仕方ないでしょ!」
「か弱い女性に噛みつきたいとか、君は変態ですか」
違います、と答える僕の声を部長はもう聞いてない。「やっぱボツ」などと言いながら、新たに思いついた違うアイデアと向き合っている様子である。
そんな日常を過ごすうちに、随分と身心がタフになった。一生彼女の実験台として過ごせるかもしれない。と思いつつ、口には出せないでいる。
「君の考えていることは読めるよ」と、僕の心の声を聞いているように部長が顔を上げた。
「『まつ毛を全部抜かれるとどんな表情になるのだろう。試してみようかな』でしょ」
「違います!」
部長はとても無邪気に微笑みながら、指先を僕に向けて伸ばしてきた。
(了)
今週のシロクマ文芸部「レモンから」に参加しました。「中年男性同士の絡みしか書かない文芸部部長シリーズ」第三弾になります。
最近kindle出版したイラスト集など