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「最後の日傘」#シロクマ文芸部

 最後の日傘の話をしよう。
 最後の日常の話をしよう。
 最後の日々をこうして記しておこう。

「これは何?」とガダは言った。私はガダの手に取った物につけられていたタグと目録とを照らし合わせ「日傘というものらしい」と答えた。続いて用途の説明も読み上げる。
「直射日光を避けるために差すもの。主に夏の暑くて陽射しの強い日に使用された」とあった。
「直射日光」とは太陽の光のことらしい。私たちの祖先が旅立った「太陽系」の中で光り輝いていた恒星のことだ。もちろんガダや私は見たことはない。同じ宇宙船に乗る人々も。
 ワンタッチで開いた日傘を差してガダが歩いてみせる。
「こんな風にしたって宇宙線が防げるはずもないのに」
「紫外線を防げたら良かったんだよ、昔の人は」
 それから日傘は、私たちよりずっと年下の同乗者たちに興味本位で奪われ、振り回され、壊された。他の地球の遺物と同じようにして。

 そのような無邪気に見える者たちも、子どもといえる年齢ではなかった。新しく子どもが生まれなくなってどれほど経つのか、もう誰も記録として残そうとはしていなかった。滅びようとしていた星から脱出した我々の祖先は、次に移住する星に住めるようになるまで交配を続けて種を保存することを意図して、宇宙船を送り出した。長い年月の交配で誰もが似通った顔形になってしまっていた。私とガダが出会い、お互いの僅かな違いを認識して惹かれ合うようになった頃、新しい命は宇宙船の中では生まれなくなっていた。
「種の寿命」と私たちに似た誰かが言った。
 移住出来る可能性のある星は既に発見されていた。そこにたどり着くまでには、あと十世代は年月を重ねなければいけない計算であった。しかし私とガダがどれだけ身体を重ね合わせ続けても、新しい世代の種は育まれなかった。私たち以外のカップルも全て同時期にそうなった。

 どこかの星系で、種として致死量となる宇宙線を浴びてしまったのだ、と誰かが言った。宇宙船の燃料に限界があるように、種の生存本能にも限りがあるのだ、と誰かが言った。誰もが誰かに似ているから、そのどれもが正しいことだと直感された。それからの私たちは、祖先から受け継いできた遺産の扱いが雑になっていった。

「日傘を常に差していれば」と私の胸の中でガダは言った。
「紫外線にも宇宙線にも耐えられていたかもしれないのに」
 ガダの鼻の頭を私は舐めてみた。合成食物の味に似てきていた。私たちはとっくに人類ではなくなっていたかもしれなかった。
 私たちはお互いとお互いの境界が分からなくなるような交わり方をして、眠れない夜を潰した。もちろん新しい命は芽生えなかった。

 殺し合いを始めたのは、一番若い者たちだった。記録によれば、これまでも多数の争いはあった。一時は船内の人口は十分の一にまで落ち込んだ時代もあったという。以来血が濃くなり、繁殖能力の低下の一因になったという者もいる。しかし今回の争いは終わる気配がなかった。一番若い者らが死に絶えると、次に若い者たちが同じ衝動に襲われ、命を散らしていった。私とガダは狂気に極力触れないように、古いシェルターの中で過ごした。何組かの年老いた者たちが同じように互いの境界を曖昧にして寝転がっていた。中には老衰で倒れたままの者たちもいた。私とガダもいつの間にか随分皺が増えていた。

 船内から争いの音が絶えたのは、皆が正気に戻ったからではなく、失われる命がもうなくなってしまったからだった。シェルターの中で命を保っている者も、私以外誰もいなくなっていた。合成食料も、古い遺産も、まだまだ残っていた。種としての寿命は尽きていても、それぞれの命を永らえさせる方法はいくらでもあったはずだった。それなのに人々は争ったり、自ら生きることを放棄したりして、いなくなってしまった。

 自動航行装置は目的地までの時間を無慈悲に刻み続けている。もちろん到着予定時刻は、私の寿命が尽きるよりずっと先のことである。
 動く者のいなくなった宇宙船内を放浪しているうちに、かつて壊された日傘の残骸を発見した。修理して私は差してみる。永く永く背負い続けているうちに私の背中と一体化したガダの遺体を覆うようにして。今更何から守るでもないけれど、ガダの痛みが少しでも和らぐことを祈って日傘を差し続けた。太陽に似た恒星の近くを通り過ぎていると機器が報せてくるが、閉ざされた船内から外の景色は見えるはずもない。

「日傘を差さずに太陽の下を歩いたらどうなるの?」とガダが聞いてきたことがあった。
「燃え上がって即死だって」そんなことはどこにも書いてはいなかった。
「嘘でしょ」
「嘘だよ」
 それから私は、いつまでも一緒にいよう、とガダに言った。
「私の方が年上だから先に死んでしまう」とガダは言った。
「そうしたら、ずっと背負って生きていくよ」
「嘘ばっかり」
 そんなことができるなんて、そんな日がくるなんて、その時は思っていなかった。でも今は。

(了)

シロクマ文芸部「最後の日」に参加しました。

 いつもは早起きして早朝に文章を書くのですが、仕事が休みに入ってから身体が疲れないせいか、眠れずに寝床から起き出してしまい、夜中にこれを書きました。娘もどうやら同じようで、眠れないと言って、絵を描いて過ごしています。

 彼方からどこにも届かない手紙のようなイメージで。ASIAN KUNG-FU GENERATION「RE:RE」を聴きながら書きました。


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泥辺五郎
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