入院記録(脳脊髄液減少症による入院)※全文読めます
脳脊髄液減少症(脳が浮かんでいる液が減る病気)により入院中。入院費の足しにするため投げ銭設定。本文は全部読めます。
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2月7(水)入院初日
ひどい頭痛の鎮痛薬を前日ロキソニンに変える。効果あったかに見えたが、夕方頭痛がひどくなった際に飲むも効果得られず。
帰宅後、近くにある脳神経外科医を調べ、向かうことにする。ルート案内では自転車で14分だが、20分ほどかけてたどり着く。院内は暖かく、頭痛がよりひどくなる。MRI検査を受けた後、「クモ膜下出血で緊急入院です」と先生に告げられる。
救急車を待つ間妻に電話。途中医師と電話交代して、妻への説明をしてもらう。入院先はすぐ近くの病院であった。
救急車で入院先の病院へ。当直の先生にくも膜下出血の原因の思い当たる節などがないかを聞かれる。
合間を見て勤め先の専務に電話をかける。コロナ感染時などの緊急連絡をするため。くも膜下出血による入院を伝える。最低限のことを伝えられた時に、家族が到着。
娘に「どうしてすぐに病院に行かなかったの!」と怒られる。実際酷く痛み始めた一週間ほど前に即病院に足を運んでいたとしても、結果は変わらなかったとは思う。近頃は息子とドラゴンボールごっこで遊びまくっていたため、しばらくそのような遊びはできないと息子に言い聞かせる。しばらくパパが家にいない間、じいちゃんなどが来るかもしれない、いつもと違う家の雰囲気になるかもしれない、といったことを話す。息子は泣くわけではないが、じっと何かを強く我慢している感じの表情だった。
「命に関わるものではない」「九割は後遺症などなく復帰する」といった説明を受ける。残りの一割がひどく大きな割合に感じられた。先に妻を交えての先生の話、その後子どもたちを迎える、という流れだったかもしれない。この時は痛み止め入り点滴を受けていたので、割と元気であった。
とりあえず必要なものを翌日妻に持ってきてもらうことにして、家族と離れ、病室へ。初日は個室。
ベッド上安静を言い渡されているので、排尿は寝ながら尿瓶に。大便は吸い取りかおむつになるが、その後便通はやってこずなので未使用。寝ながら放尿のやり方を説明されるが、うまく出ないので結局ベッド脇に座るか立って尿瓶に出す。それくらいの起き上がりは了承を得る。一人で排尿できてほっとする。
細切れな睡眠。
2月8日(木)入院2日目
朝食はおかゆとおかず。おかゆにゆずみそを溶かすが、味はほぼ変わらず。秀吉の兵糧攻めにあった三木城から開放された人々が、飢え死に直前の胃袋に通常の食物を入れてしまったために亡くなってしまった故事を思い出す。天野純希「もろびとの空」参照のこと。
充電器を妻に持ってきてもらうまでは、スマホの電池残量が、自分と世界との関わりの残量である、というようなことを思う。両親と連絡を取ったり、妻と細かい打ち合わせをしたり。妻の土地勘を心配したが、母の昔の勤め先に近い病院だったため、二人で待ち合わせをして来院することに。私は救急車移動だったので、病院の細かい場所も分からない。
昼食後大部屋に移動だったか。その後MRI検査。造影剤を投与してのもので、前日よりも長め。後半が特にずっと同じ騒音でつらかった。翌日更にきつい試練に合う。
主治医からの説明によると、詳しい詰めは各種検査してからになるが、「おそらくあれだろう」という病名があります、とのこと。自身で論文を書いたこともあるそうで、「脳脊髄液減少症」だという。脳を包む液が減少した結果、頭蓋骨に脳の血管の一部が当たり、破れ、傷つき出血、といった流れらしい。
後に調べたら、詳しい医者がいないと数ヶ月たらいまわしにされている例もあったので、私は運が良かったといえる。
妻と母が面会に来る。先に主治医からの説明も受けていた。二週間安静にしてそれでも治ってなかったらブラッドパッチ療法を試すかも、といった話。一週間後に迫っていた息子の幼稚園での生活発表会には行けないことが確定してしまう。
充電器とイヤホン、Bluetoothキーボードにより、世界との関わりが復活した気分になる。しかしせっかく妻が持ってきてくれた着替えにいつまでも手につける気になれず。上半身には心音を記録する機械もついているので、結局寝る前に下着とズボンを着替えただけだった。前日朝から履きっぱなしだったヒートテックがうとましかった。
切れ切れの眠り。
2月9日(金)入院3日目
食事のたびに画像をXにアップすることにしている。軽く一言を添えて。そういったことをしておかないと、世界との繋がりが失われる、時間の経過や日時の感覚がぼやけていきそうだという恐れもある。同病室の男性患者さんたちは皆物静かだが、隣の女性病室、トイレなどを挟んだ建物向かい側の病室などからは、おそらく長期入院患者らしき人の、騒ぐ声が聞こえてくることがある。
この日初入浴。3階にある浴室まで車椅子で運んでもらう(入院している病室は4階)。浴室の中への付き添いはなく、自身で洗う。先客に足を濡れないようにビニールで覆った若い患者がいた。おそらく同じ病室にいる男性。椅子に座り、洗髪と体洗いをする。温まると頭痛が酷くなるので湯船には入らず。
洗い終えて車椅子に座りドライヤーをかけながら、看護師さんの手の空くのを待つ。付き添いで来られた方は、私の次に入浴する高齢者の身体を洗っている。浴室の声が届く。看護師さんと談笑する患者さんが、「ありがとう」といった感謝の言葉を頻繁にかけていることに気づく。
入院してから、私はそういった言葉を使えてなかった気がする。自分のことで精一杯で、お世話をしてもらっても、何かを片付けてもらっても、「はい」「どうぞ」といった言葉しか出ていなかった。今後はきちんとお礼を言っていこうと思った。
主治医と話をする。今の安静状況は、髄液の漏れ出ている箇所を塞ぐための処置。そこで疑問が浮かぶ。仮に2週間で無事傷が塞がって退院できたとして、仕事復帰しても、急に忙しくなっていた仕事量が減るわけではない。発症の原因全てではないだろうが、一因ではあるだろう「以前に比べて仕事が忙しくなっていた」職場に戻れば、すぐに傷が開いて再発、再入院、といったことになるのではないだろうか。
違う職を考えた方がいいのか、といった疑問に主治医は「それはあなたの人生ですから」といったことを言う。それもそうだ。
痛み止め午前中に一回飲む。
午後MRI検査を脊髄まで。30分かかる。耳元で鳴る轟音が途切れるたびに「終わりかな」と願うがその都度裏切られる。細切れな夢を見る。職場にいたり家にいたりする。「今すぐこの場所から離れないと」という雰囲気で、いつでも家や職場に戻れる感覚でいる。
MRI検査後は、日常の音が恋しくなる。病室にいる間はティッシュを丸めて耳栓にしていることが多かったが、他の患者さんのやりとりや雑音ですら愛おしく、耳栓を外す。
代わりにといっていいのか、あまり音楽を聴けなくなった。家では家事や執筆の最中に音楽を聴いていた。入院中に家事はできない。執筆はできるが、寝ながらのキーボード操作に必死で、まだ余裕がない。脳脊髄液減少症の患者のブログなどを読むと、耳鳴りの症状などもある。MRIの騒音の影響もあるだろう。
水曜の朝以来、いまだお通じがない。寝る前に下剤を飲む。入浴で一緒だった若者は既に退院していた。同室は手術前後の患者さんが多く、「明日退院」といった声も聞こえてくる。2週間は長い。2週間で終わる保証はない。
読書記録。
「東京バックビート族林立夫自伝」
林立夫
「髄液が漏れる病気になったよ!脳脊髄液減少症闘病まんがエッセイ: なつきち4コマ手帖 脳脊髄液減少症編」
なつきち
「とても珍しい‼脳脊髄液減少症の40日闘病記: ~病気の理解のために~」
白取美千代
「適当日記」
高田純次
「藤澤清造短篇集 一夜/刈入れ時/母を殺す 他 (角川文庫)」
藤澤清造 西村賢太
「秘密主義」
高田純次
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