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「自分なりの桃太郎」の裏側(白4企画後夜祭)

 先日、白鉛筆さんの企画「桃太郎」に参加しました。

 企画概要を読んだ際に、「これは毎晩お風呂で息子に自家流桃太郎を聞かせている自分に向けられた企画に違いない」と思い込み(気のせいです)、いろいろ事前準備に取り掛かりました。作品の後にちょろっと紹介するつもりが、結構な分量となってしまったので、別記事としてこちらに投稿します。

 
 Xで一日一冊ポストしている「架空書籍紹介シリーズ」というものがあります。架空書籍の内容を綴っているものです。そちらで桃太郎ネタを続けてみました。

 画像生成方法は、ChatGPTに「この架空書籍の挿画イメージを描いて」と言って本文を貼り付ければDALL-E3が描いてくれます。手直しの必要があれば修正箇所を指示します。「桃拾い」は一発でこの絵ができたと思います。

97冊目「きびだんごがもっと多ければ」
桃太郎の仲間になれなかった動物たちの話。犬と猿と雉に渡した時点できびだんごは切れてしまった。ゴリラ、サイボーグ、巨大怪獣を「もうあげられるものがない」という理由で桃太郎は断った。英雄になれなかった彼らは結託して世界征服を目論んだ。

巨大怪獣が巨大じゃない

98冊目「桃拾い」
おばあさんが川で洗濯をしていると川上からたくさんの桃が流れてきました。おばあさんの目には赤外線スキャナーがついていましたので中身を見通すことができました。一番小さくて自力では桃を割れなさそうな子が入った桃を持ち帰りました。優しく桃を剥いていきましたとさ。

99冊目「動物園」
犬と猿と雉と人と鬼の檻が並んでおり「昔話『桃太郎』をイメージしました」と看板が立っていた。宇宙象の餌やりの時間だというので象の檻に行ってみると、たくさんの星々を食べさせていた。文明の発達した星を特に好むという。客たちは黒い影だった。白い影もいた。

こちらは採用せず

 そういえば企画以前にも桃太郎ネタがありました。

67冊目「ピーチボーイウィズドッグアンドキャット」
桃太郎は鬼退治に行く途中で捨て猫を拾った。段ボール箱にギブソンSGと一緒に捨てられていた。桃太郎が猫を連れて弾き語りをしているとセグウェイに乗った犬が寄ってきた。一人と二匹はバンドを組んで武道館を目指した。鬼は政権を取った。

白黒時代

 当初、警察に尋問されるゴリラの話を書いていました。


顔がでかすぎる。のでOK。

*

 ゴリラは語る。

 雉できびだんごが切れたというんですよ。犬と猿と雉に一つずつあげただけで、きびだんごが切れたって。雉の後に私がいたことに気付いていたはずです。桃太郎さんのことですよ。私は桃太郎さんの話しかしていません。本当はもっときびだんごはあったはずです。袋の中に何か仕舞う仕草をしたのが見えました。あれはきっときびだんごを隠したのです。猿に気を遣ったのでしょうか。同じ類人猿でキャラが被るから。しかしそれを言うならば、そもそも人間と猿で被っているじゃないですか。

 パワーバランスですか、私が入ると強くなりすぎるからですか。鬼に苦戦する場面が欲しかったのですか。金棒など怖くはありませんからね。鬼のパンツももちろん大丈夫です。桃太郎は自分の言うことを聞く獣だけを連れて、自分より弱く、頼りにならない、戦いが終わったらペットにするなり、野生に返すなり、焼いて食うなりできる連中しか選ばなかった、そういうことではないですか。私は鬼退治に協力しようとしただけで、野心はありませんでした。鬼を退治したら大人しく森に帰るつもりでした。

 本当はきびだんごなんて欲しくはなかったのです。何も与えられなくても付いていきたかったのです。その旨も桃太郎さんには伝えました。
「結構です」とあしらわれました。あれはストーカーに怯える人の目つきでした。確かに私はずっと前から桃太郎さんのことを見ていました。それは確かです。桃太郎さんは桃から生まれました。私は桃を食べようと桃の木を揺らしていたのです。たくさん食べようと、たくさん桃を落としたのです。もう面倒くさくなって、住んでいた辺り一帯の桃の木をなぎ倒したのです。川が近かったので、落ちた桃がたくさん川を流れていきました。私は全部食べるつもりでしたので、流れていく桃を追いかけました。

 しかし私より先に桃を手に入れた人間がいました。老婆でした。少し大きめの桃を老婆は持ち帰ろうとしていました。私は自分の桃が盗まれる瞬間を目にして、襲い掛かろうとしましたが思いとどまりました。敢えて老婆を家に帰らせれば、そこに貯蔵してある穀物を手に入れることができると考えたのです。邪魔をするなら老婆も同居人も殺してしまえばいい、とも思いました。私たちゴリラは基本肉は食べないので、殺すだけです。犬や猿や雉ともその辺りは違うのです。雉の奴など、鬼の目を突いて食らっていたそうではないですか。そもそも鬼は人の一種ではないのですか。一般的な人とは違う特徴を持った連中を総称して「鬼」と呼んで鬼ヶ島に閉じ込めていたのではないのですか。凶悪なレッテルを貼って桃太郎を送り込んだあなた方こそ、鬼だ。

 話が変わってしまいました。申し訳ありません。どこまで話しましたか。私の後に待っていたサイボーグのことはもう話しましたか? 更に後ろにいた巨大怪獣のことは? まだでしたか、いや構いません。本筋には関係してきません。私の話だけを聞いてくだされば結構です。桃太郎さんは無事なのですか? 猿が行方不明? 犯人はあいつですよ。無実の私を捕まえている場合ではありません。犬を騙して宝の一部を持ち出させて、自分が本命の宝を持ち逃げする、空を飛んで追ってきそうな雉はあらかじめ焼き鳥にしておく。全て猿がやりそうなことではありませんか。私は宝には興味がありません。私が愛していたのは桃太郎さんだけです。興味を持っていたのはあの人だけです。サイボーグはその後酷暑にやられて熱暴走して爆発しました。巨大怪獣は別の国のヒーローによって倒されました。

 思い出した、老婆の話でした。老婆の家を覗き込むと、私が食べるはずだった桃が見えました。老婆は桃の皮を剥き始めるところでした。桃が尻になりました。小さな男の子の尻でした。老婆が桃の皮を剥くと尻が現れたのです。皮を全て剥き終えると、赤ん坊が出てきたのです。桃から生まれたから桃太郎と名付けよう、と傍らにいた爺さんが言いました。あいつらはその瞬間から桃太郎の親になったのです。私が落とした桃だったのに。私が食べるはずの桃だったのに。本当は桃太郎さんは、私の元で育てられるべきだったのです。私が愛情を注ぐべき対象だったのです。それなのに。それなのに。

*

 いくつかの桃太郎ネタから一つに絞って書こう、そう思ってゴリラに語らせ始めました。しかしふと気付きました。この書き方、みんな大好き「駆込み訴え」だよな、と。

 これでは「自分なりの桃太郎」ではなく、「自分なりの駆込み訴え」ではないか? 別にそれはそれでいいんですが、「自分なりの駆込み訴え」については、15年前に「春江さん」という短編を既に書いていました。今読み返すと、主人公の年齢が今の自分と重なります。

 私ですか、私も春江さんには何度もお世話になりました。四十歳を超えてまだ芽も出ないのに物書きという職業に執着しているくずでございますから、それはもう春江さんには何度も命を助けていただきました。出ない乳を吸い、濡れない陰部を舐め回しました。そのような顔で見られても恥とも思っておりません。この町には春江さんの他に女といえば皆旦那持ちか病気持ちですから。それも男と比べて数が少なすぎるものですから。若い連中は男も女もほとんどが、あなたたちの居るような都会へと出ていってしまいましたから。

 わかっています、わかっています、話を進めましょう。あの日最後に春江さんと会っていたのは私です。その日も彼女とは抱き合う予定でした。「柿、もいできたんよ」と彼女は言いました。二人で柿を食べながら、私は今構想中の小説の話を彼女に聞かせました。『壊れたデッサン人形』という話で、題名はまだ本決まりではありませんが、話の大体のあらすじは出来ていました。貧乏で金がなく、デッサン人形が壊れても買い換えることが出来ないまま、絵の修行を続けていた画家が主人公の話です。いびつなデッサンを重ねるうちに、いつしか彼は歪んだ肉体しか描けなくなっていました。しかしその絵が奇妙な迫力がある、と評判になり、彼の絵は売れ始めます。

 はい、申し訳ございません。私の小説の話は今問題ではありませんでした。もう金輪際小説の話はいたしません。春江さんの話をしましょう。結局その日、私たちは抱き合いませんでした。春江さんは気分が悪くなったと言って帰り支度を始めました。柿は二人で十個ばかり食べました。一つ渋柿が混じっておりました。自宅の庭に生えている柿の木からもいできたと彼女は言っておりました。この辺りは物騒な土地ですが、木々はよく育ちますから。不味いものばかり生りますが、我慢すれば食えてしまうものですから、私のようなものでも生きていられるのです。

泥辺五郎「春江さん」より

 ゴリラに「駆込み訴え」をさせることが、「自分なりの桃太郎」であるか? と自問した時に、即座に「否」と答えが出ました。むしろ「これらのネタ全て、更に実生活でのエピソードを加えてこそ、ではないか」と。

 あと別口で以前桃太郎を描いていました。こちらは五年前。現在凍結中の作品集収録作なのと、短いため、全文貼り付けておきます。

 犬はバンドを組みたい。

 鬼退治以後の三年間、犬は音楽漬けの日々を過ごした。桃太郎は賭博と風俗にどっぷり浸かり、猿は本の海で溺れ、キジは漫画オタクになって火の鳥になりたがっている。

 俺達は英雄なんかじゃない、と桃太郎はぶつくさ言う。退治というよりは虐殺であった。小さな鬼も殺した。年老いた鬼も殺した。命乞いしてくる鬼も、ただ泣きながら抵抗もしない鬼も殺した。悪いことをした鬼もいた。だから依頼を受けたのだ。しかしそんな奴等はごく一部だったのに、桃太郎一行は大義名分とドーピング(きびだんご)に背中を押されて、鬼達を根絶やしにした。

 寝ても覚めても自らの行いにより作り出された阿鼻叫喚の風景は記憶から消えてくれない。桃太郎一行はそれぞれの現実逃避の道を極めていった。

 犬が初めてMAN WITH A MISSIONの動画を観た時、興奮して猿に叫んだ。
「犬がバンドをやってる!」
「あれは狼だよ。ちなみに中に人間が入ってる」冷静に猿は解説した。
「狼だってイヌ科だろ」
「そうだな」
「人間がわざわざ狼の被り物をして演奏する理由がどこにある? こいつらは本物の狼だよ」
「もうそれでいいよ」
「俺達もバンドやろうぜ!」
「断る」

 でも猿はその話からしばらく、町田康の小説を読んでいた。猿なりのバンドやろうぜへの返答だったのかもしれない。

 おばあさんに連れられて犬は毎朝毎夕散歩に出る。散歩コースに河川敷が含まれているのは、桃が流れてこないかのチェックも兼ねている。けれど桃太郎が入っていた桃以外に流れてきた事はない。

 河川敷のベンチでアコースティックギターを演奏する二人組の側でおばあさんと犬は立ち止まった。バンド演奏でないから最初気付かなかったが、それはMAN WITH A MISSIONの「EMOTION」であった。犬は曲に合わせてワンワンと鳴いた。

 演奏が終わると弾き語りの二人組はおばあさんに話しかけてきた。
「狼が好きなワンちゃんなんですね」
「私もこの曲好きですよ。劇場番変態仮面の主題歌にもなってたよね」
「よく知ってますね!」
「主人公が、うちの主人の昔の頃に似ていて」
「パンツ被ってたんですか?」
「たまに、ね」

 それからしばらく犬と二人組でMAN WITH A MISSIONメドレーを演奏する。犬の仕草が可愛くて、通りがかりの人達が足を止め、小銭をギターケースに投げ入れてくれた。
「またやりましょうね」二人組は別れ際にそう言ったが、彼らと犬は二度と会うことはなかった。自分達の実力以外のところで聴衆に認められたのが気に入らなかったのだろう、と猿は訳知り顔で犬に説明した。

 それ以来犬は、あの時演奏出来なかった「Dog Days」の練習をしている。おじいさんが犬のサイズに合わせて自作してくれたギターで。鬼虐殺から三年目の、真夏日が続く日々(ドッグ・テイズ)の最中に。
(了)

泥辺五郎「音楽小説集」内「『Dog Days』MAN WITH A MISSION」より


 何の話でしたっけ。
 一輪の可憐な花に話を戻す。
 いや、そんな話はしたことがない。
(「夕グレ」より)

 おばあさんが桃太郎を割る「パッカーン」天丼ネタは、実際にやった息子との掛け合いが元ネタです。

 お風呂での息子との「おじいさんとおばあさんごっこ」の中で、いくつかの設問箇所が設けてある。
「昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいました。おばあさんは山へ芝刈りに。おじいさんは何をしていましたか?」という風に。
「おじいさんは山で一人UNOをしていました!」
「おじいさんは家の中で全力でサボっていました!」
などと息子が答えた内容に合わせて話を進めていく。

 桃を割る際にも中身を考えさせている。
「おばあさんが素手で桃をパッカーンと割ると、中から何が出てきましたか?」
「桃!」
「パッカーン! また桃を割ると、中からはそれはそれはかわいらしい……」
「桃!」
「パッカーン、また桃を割ると、中から今度こそとても元気な……」
「桃!」
「パッカーン! 今度こそ本当にとてもかわいくて元気な……」
「桃!」

 最近この「どこまでも桃」パターンが多かったが、昨日は「生まれた時からトランクスくらいムキムキの桃太郎」だった。その後セルヶ島にセルとおじいさんを倒しに行った。

泥辺五郎「耳鳴り潰し 92」より

 そのことを題材に、白鉛筆さんの企画告知以前に「ホリミヤvs桃太郎」という話も書いていました。

 息子とお風呂に入る際に「おじいさんとおばあさんやって」とねだられる。
「昔々あるところにおじいさんとおばさんが~」で始まる創作童話の提供を求められる。しかしある時から一貫して「桃太郎」のバリエーションになってから、即興創作が随分楽になった。最近では定型化して、しかも話の各所に「息子に考えさせるところ」を設けている。こんな具合に。

「昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいました。おばあさんは川へ洗濯に。おじいさんは何をしていましたか?」
「山で一生懸命仕事をサボってた!」
「おじいさんは全力で仕事をサボっていました。
『全力を出してワシは仕事をサボる! 何もやらんためなら全てを投げ出しても構わん! うぉーーーー!!! 地球のみんな、ワシに力を分けてくれ!』

 一方その頃、川上からどんぶらこどんぶらこと流れてくる桃の大群を、おばあさんは片手でわしづかみにして集めていました。全ての桃を担いで家に帰ったおばあさんは、全力で仕事をサボって燃え尽きていたおじいさんを壁にぶっ飛ばしました。そしてさっそく桃を素手で割ってみました。すると桃の中から何が出てきましたか?」
「桃!」
「また桃が出てきたので、パッカーン! と割りました。すると中からそれはそれはかわいらしい」
「桃!」
「桃が出てきたので、おばあさんはまたパッカーン! と割りました。今度こそそれはもうとっても元気な」
「桃!」
「桃が出てきたので、おばあさんはパッカーン!」
「桃!」
「パッカーン!」
「桃!」
「パッカーン!」
「桃!」
「パッカーン!」
「桃太郎!」
「パッカーン!」
 勢いで割ってしまったので桃太郎の傷を治す。その後おじいさんをぼこぼこにしながら桃太郎は成長していき、やがて鬼ヶ島に鬼退治とかセルヶ島にセル退治とかおじいさんヶ島におじいさん退治に行ったりする。強くなりすぎているので仲間はいらないパターン、犬は可愛いから犬だけ仲間にするパターン、キジではなく宇宙怪獣ゲランダが出てくるがスルーするパターンなどがある。鬼のボスがヤムチャという場合もある。

泥辺五郎「恋愛小説集」内「ホリミヤvs桃太郎」より

 つまりこのネタは実際の出来事の記録、それを踏まえたエッセイと小説の合間の恋愛小説(全く恋愛小説にはなってない)、そして今回の話、となります。転用が過ぎる気もしますが、受けたのでよしとしましょう。してくださいごめんなさい。昨晩もこのパターンかと思ったら、桃を割ったらスイカが出てきてスイカを割ったら「スイカ太郎」が出てきました。桃太郎も一緒に。


 桃太郎の「弟か妹が欲しい」発言も、最近の娘と息子の言葉から。

 寝る前の子どもたちが子どもトークを繰り広げていた。幼い息子が、娘のお気に入りのおもちゃを壊した時のことを娘は語り聞かせていた。息子は「自分に弟ができて、もしそういうことをしたら」といった話をしていたようだ。そして何がどうなってそうなるのかは分からないが、娘は「二人目の弟が欲しい」と私に言ってきた。続いて息子も。

泥辺五郎「耳鳴り潰し 127」より


 今回は途中で挿画を挟まず、TOP絵だけに生成画像を使用しました。使われなかった画像や、TOP絵に至るまでの画像など。


市役所に苦情を言いに来るゴリラさん


こちらは書き上げた話を貼って「これのイメージ画像を描いて」と指示したもの。


生成されないと思ったからびっくりした、血のついた手を洗う場面


血を黒に修正。どのみち使わなかった。

 一場面に限定して生成を指示。

「小さい桃を中年夫婦が二人で優しく指先で皮を剥いていく様子を描いて」

最初からおじいさんおばあさんになってしまったので没

「夫婦の年齢を四十代にして」

どこぞの大物俳優たちみたいになったので没

「水墨画調の画風でカラーにして」


ちょっと夫が老けすぎかな。

「桃は一つにして。服装は現代の服装にして。絵柄と色合いはいい感じ。」

妻が一気に老ける。水墨画調を指示すると服装はなかなか改まりません。

「水墨画調、色彩はカラー、服装は2010年代の日本風、40代の中年夫婦。小さな一つの桃を、二人で指先で優しく丁寧に皮を剥こうとしている様子。」


というわけで現行の画像に。妻がやや若すぎるけれど。余分な桃は下部なのでカットできた。


 というわけで、長々と「自分なりの桃太郎を書けないでいる話」の製作裏話を書かせていただきました。企画参加作はまだ全部読み切れていないので、これから少しずつ読み進めていきます。改めて、創作の機会を与えてくださった白鉛筆さん、参加者の皆様、ここまで読み進めていただいた奇特な読者様に感謝します。


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