コーヒーを淹れたあと、私は地獄へ帰る
皆さん「UNO」をご存知でしょうか。
アメリカ生まれのカードゲームで、「UNO」と書いて「ウノ」と読みます。色や数字が同じカードを一枚ずつ出していき、誰が先に手持ちのカードを無くせるかを競うゲームです。
数字のカード以外にも、「スキップ」や「ドローフォー」など、相手の邪魔をするカードがたくさんあるので、大いに盛り上がります。
また、手持ちのカードが残り一枚になった時に、「UNO」と言わなくてはいけないという独特なルールがあります。「UNO」とはイタリア語やスペイン語で「1」という意味の言葉で、もし言い忘れた場合は、ペナルティーとしてカードを2枚ひかないといけないのです。
ある日、私が仕事から帰るとテーブルの上にUNOが置いてありました。どうやら娘が祖父母の家に遊びに行った際に手に入れてきたようです。
そのUNOは、私が幼少期に遊んでいたものと同じ、あずき色をしたパッケージでした。フタを開けてカードを出してみると、かすかに埃っぽい匂いがしましたが、不思議と嫌な感じはなく、むしろどこかホッとするような感覚がありました。
カードを実際に手に取ってみると、懐かしい感触がします。少しざらついたような、その古い紙の感触は、子供の頃によく家族でUNOをして遊んでいたことを思い起こさせました。
かくして、5歳の娘は今、UNOに絶賛ハマっています。そのハマり具合が度を越してしまっているために、一度UNOで遊び始めてしまうと、なかなか終わりが見えなくなってしまいます。
もともとは私もUNOが好きなので、最初の5回くらいまではいつも楽しく遊べるのですが、さすがに10回、20回と続けていくと、だんだん目が死んできてしまいます。
そこで私は「あと1回やったらもうおしまいだよ」と娘と約束するのですが、結局いつも「あと一回だけ、あと一回だけ」となってしまい、まるで消費者金融のカードローンの返済のように、なかなか終わらなくなってしまうのです。
娘は以前、トランプの「51」というゲームにハマっていた事があります。やはりその時も延々とゲームに付き合わされたので、私はしばらくトランプなんて見たくもないという心境になっていました。
そこで私は「UNOっていう、すっごくおもしろいカードゲームがあるんだよ」と、その存在をほのめかし、娘の気持ちをトランプから離れさせようとしたのですが、それが仇となって今の状況に陥ってしまっているのです。
先日、またしても一時間近くもUNOに付き合わされていた私は、ついに痺れを切らし、
「もう今日はUNOはやりたくない」と娘に言いました。すると娘は、
「ねえ、UNOやらないんだったら、私パパの事嫌いになっちゃうけど、それでもいいの?」と、
どこで覚えてきたのか知りませんが、性悪女のような脅迫の仕方をしてきました。
私はせめてものお願いとして、コーヒーを淹れるための一時休戦を申し出たところ、娘もさすがに少し疲れたのか、その要求を渋々のんでくれました。
私はやっと訪れた、貴重で穏やかな時間をたっぷりと使ってコーヒーを淹れます。
やかんで湯を沸かし、近所のコーヒー豆屋さんで焙煎してもらったコーヒー豆を、ガリガリと音を立てながら手動のミルで挽きます。そして、ドリッパーを大きめのマグカップに乗せて、フィルターをセットしたら、挽いたコーヒー豆をそっとフィルターに流し込み、ゆっくりとお湯を注いでいきます。
コーヒーがゆっくり落ちていくのを上から覗いてみると、ドリッパーの中の茶色く濁ったお湯の表面に、自分の顔が写っているのが見えました。
その濁ったお湯が少しずつ減っていくのと並行して、そこに映った私の顔もだんだん小さくなっていきます。
そして、最後の一滴が落ちる時には、私の顔も、フィルターの中にできた蟻地獄の底に落ちていくのでした。
「パパー、UNO始めるから早く来なさーい!」
声のする方に目をやると、そこには小さな閻魔さまが立っていました。