人生に無駄な時間なんてない
料理人として最初に勤めていたカフェレストランを辞めた私は、ある先輩の紹介で、フランス料理をベースにした創作料理店で働き始めることにしました。
そのお店は、世界的に名の知れた料理人が展開するレストランの東京支店で、キッチンスタッフには有名ホテルでシェフを務めていた人や、星付きレストランで働いていた人など、当時の私とは知識も経験値も全く違う料理人が多く働いていました。
私は一番年下だったので、いろんな先輩方が丁寧に仕事を教えてくれたり、料理のアドバイスをしてくれたりしていたのですが、皆が口を揃えて言うことが一つだけありました。
それは「この店には長く居ない方がいい」ということでした。
当時の私は、厨房内で交わされるフランス料理の用語の意味もわからずに、ただただ右往左往しているような状態だったので、その言葉の意味を、自分の身体を通してちゃんと理解することがまだできていませんでした。
それに私はそんなことに気を取られているような余裕などなく、毎日の仕事についていくだけで精一杯だったのです。
それから2年が経ち、キッチンスタッフが一人、また一人と辞めていき、深刻な人手不足に陥っていた厨房内では、誰もがキャパオーバーの仕事に追われていました。
さらには親会社が変わったことにより、料理のクオリティの向上や、原価の見直しが求められていて、厨房内にはいつもピリピリとした雰囲気が漂っていました。
そんなある日、私は先輩方に言われていた「この店には長く居ない方がいい」という言葉をふと思い出しました。
私は料理人としても、人間的にもまだまだ未熟な部分が多くありましたが、一応どのポジションも任せてもらえるようになっていたので、そろそろ次のお店に行って新しいことを学びたいと思い始めていた時期でもあったのです。
そこで私は意を決して、バックヤードで事務仕事をしているシェフにその旨を伝えにいきました。
するとシェフはそれを予想していたようで、本当は残っていて欲しいけど、その気持ちもよくわかるからと、心よく承諾してくれたのでした。
かくして私は2年半働いたそのお店を辞めて、オーナーシェフが切り盛りをする、20席程のイタリア料理店で働くことにしました。
今まで働いていた大箱とは違い、オーナーシェフのこだわりがぎゅっと詰まった、とても小さなイタリア料理店です。
そこで働き始めた初日に、私は当時言われていた「この店には長く居ない方がいい」という言葉の本当の意味を理解しました。
それはとても単純なことでした。
レベルが全然違ったのです。
調理の技術も、知識の幅も、熱量も、その全てが私の想像を遥かに超えていました。
私は前店で2年半、自分なりにしっかりと働き、それなりにいろんなものを吸収してきたつもりでいたのですが、料理の世界というのは私が思っていた以上に広く、そして、とても深かったのです。
私はあまりのレベルの違いに愕然としてしまいました。
私はこの2年半、いったい何をしていたのだろうか。ひょっとしたら、この2年半という時間を私は無駄に過ごしてしまっていたのではないかと、そう思わずにはいられませんでした。
しかし今更そんなことを言ったところで、時間が戻ってくれるわけではありません。
なので私は、また一から勉強をし直すつもりで、とにかく朝から晩まで一生懸命に働きました。
なんとか仕事についていこう、
なんとか同じ土俵に立とうと。
それから10年余りが経ち、私は現在、小さなレストランでシェフを努めています。
客単価が何万円もするような高級店でもないですし、メディアに取り上げられるような派手なお店でもないですが、それでも自分なりに美味しいものを届けようと日々奮闘しています。
そんな中、一緒に働いていたスタッフの知り合いの農家さんから、甘味のある、とても美味しいキャベツが届けられました。
私はそのキャベツの甘味をなんとか生かせないかと思い、「焼きキャベツの温シーザーサラダ」という料理を作りました。
焼くことで香ばしさと甘味を引き出したキャベツに、特製のシーザーソースをたっぷりとかけて、温泉卵やベーコンをトッピングした一皿です。
このメニューは限定商品だったのですが、嬉しいことに、一度食べたお客様から「今日はシーザーサラダないの」とか、「次はいつ食べられるの」と言われることが多くありました。
私にとって、この料理が美味しいと言ってもらえたことは、その言葉以上の喜びがありました。
というのも、このシーザーサラダのソースは、私が2年半を無駄にしてしまったと思っていた、あのお店で教えてもらったソースだったからです。
もちろん今のお店に合わせて、少し手を加えてはいましたが、それでも最初に「美味しかったよ」と言ってもらえた時には、あの時の2年半がついに報われたような気がして、思わず顔がほころんでしまいました。
その時、私は思ったのです。
人生に無駄な時間なんてないんだと。
例え自分では無駄にしてしまったと思っていた時間であっても、その時に経験したことや学んだことで、誰かを笑顔にすることができるのです。
そうは言ってもやはり私はとても不器用なので、自分を責めたり、悲観的になってしまうような時間が今でも数多く訪れます。
でも、それはそれでいいんじゃないかと今は思うのです。
なぜならその時間にも、いつか誰かを笑顔にする可能性が秘められているからです。