ロック・ステップ ・モスコミュール 〜綴る料理人が語るロックへの愛〜
私は今、整骨院の治療台に乗っています。
約3ヶ月前、首の凝りからくる頭痛に悩まされて以来、定期的に通っているのです。
担当の先生が言うには、料理人という仕事上、どうしても下を向いている時間が長くなってしまうため避けては通れない道なんだそうです。
この日もいつものように、うつ伏せになってマッサージを受けていたら、店内のスピーカーからある懐かしい曲が流れてきました。
ガンズ・アンド・ローゼズのノーヴェンバー・レインという曲です。
ガンズ・アンド・ローゼズは1980年代に活躍したアメリカのハードロックバンドで、中でもボーカルのアクセルと、ギターのスラッシュは特に人気がありました。
そしてこのノーヴェンバー・レインという楽曲は、8分57秒もある超大作のロックバラードなのですが、今やロックを語るうえで欠かすことのできない一曲となっています。
この曲の最大の聴きどころは、やはり、なんと言ってもラストを締めくくるスラッシュのギターソロです。
とても壮大で、とにかくエモい。
そんな表現がぴったりな圧巻のギターソロに聴き入っていたら、ふと20年以上も前の記憶が蘇ってきたのです。
中学2年の終わり頃、私はロックにハマっていました。
同級生たちがみな小室サウンドに夢中になってる間、私は思春期特有のふつふつと込み上げる不満や怒りを、ヘッドホンから流れてくる歪んだエレキギターの音にぶつけていたのです。
そんな中、どんないきさつがあったのかは忘れてしまいましたが、英語の講師として来ていたオーストラリアのジェフ先生から、洋楽ロックのCDを頻繁に借りるようになり、私はさらにどっぷりとロックの沼にはまりこんでいったのでした。
地元の商店街から一本入った所に、ある一軒のバーがありました。
入り口にはいかにも年代ものだと思われるエレキギターが飾ってあり、外からチラリと見える店内はいつも薄暗く、怪しく大人な雰囲気が漂っていました。
「いつかこんなお店で酒を飲んでみたいな」
同じくロック好きの友人と私は、その店の前を通るたびによくそんな話をしていました。
そのお店は私達にとって、ロックな大人だけが入ることが許される、憧れのお店だったのです。
高校生になると、私は地元のラーメン屋さんでアルバイトを始めました。
洋服を買うお金や遊ぶお金を自分で稼ぐようになった私は、勘違い甚だしくも、自分はもう大人になったものだと思い込んでいました。
そして、当時の多くのひねくれた若者がそうであるように、私はタバコを吸い、酒を求めました。
そんなある日のバイトの帰り道、私はロック好きの友人を誘い、あの憧れのバーへと向かったのです。
時刻は22時30分、私達は店の入り口の前に立ち、一度大きく深呼吸をしてから扉を押し開けました。
店内は予想通り薄暗く、そして大きな音でハードロックが鳴っていました。
店の中には入ったものの、どうしていいか分からずに二人揃ってオロオロしていると、カウンターの中にいた怖そうなマスターが言いました。
「お前らちょっと来い」
マスターの体は岩のように大きく、綺麗に刈られた坊主頭と白髪混じりの無精髭が、いかにも怖そうな雰囲気を醸し出していました。
「やばい、怒られる」
私達は逃げ出そうかとも思ったのですが、時すでに遅し。
そのマスターの目力に圧倒された私達は、まるで首ねっこを掴まれた子猫のように、言われるがままおとなしくカウンター席にちょこんと座りました。
カウンターの天板や、壁に染み込んだ酒とタバコの匂いが、私達に世界の終わりを連想させます。
「ここは酒を飲む所だぞ。わかってんのか。お前ら今いくつなんだ」
嘘をついてもきっとバレる、そしてバレたらきっと殺される。
そう思った私達は素直に16才だと白状しました。
するとマスターは言いました。
「まあオレもお前らの歳の頃には酒を飲んでたから、とやかく言うつもりはないが、ただ、一つだけ約束しろ」
マスターはとびっきり怖い顔をして続けます。
「いいか、ここで飲んだってことはお巡りさんに聞かれても絶対に言うなよ。約束できるか」
私達は申し合わせたように、何度も大きく首を縦に振りました。
「よーし、約束だ」
そう言ってマスターはドリンクのメニューを持ってきてくれました。
しかしお酒のことなど何も知らない私達は、ウイスキーの銘柄やらカクテルの名前がずらりと並ぶメニューを見ても、まるで暗号を読んでいるかのように何が何だかさっぱり意味がわかりませんでした。
すると見かねたマスターが言いました。
「とりあえずなんでも気になったものを飲め。そうやって酒は覚えるんだ」
そこで私達は、なんとなく聞き覚えのあったモスコミュールを注文することにしました。
するとマスターは、ずらりと並べられた酒瓶の中から一本を選び取り、その見た目からは想像もできないほど繊細な手つきで、あっという間にカクテルを作り上げました。
「はい、どうぞ」
マスターはそう言って、私達の前にモスコミュールをすっと差し出しました。
ゴツくて大きなマスターの手で持ち上げられたモスコミュールは、まるで子供用のジュースのように小さく見えていたのに、私達の前に置かれたとたん、それは一瞬にして大人の飲み物へと変貌しました。
私達は目の前のモスコミュールに魅了されました。
この世の中に、こんなにも美しい飲みものがあったのかと。
暖色系のライトに照らされた琥珀色の液体は、氷と共にキラキラと光を反射させて、鮮やかな緑色をしたくし形のライムは、シュワシュワと泡に弾かれて踊っていました。
私達は震える手でグラスをしっかりと握りしめ、ゆっくりと口に運びます。
「うめぇーっ」
これが大人の味ってやつなのか。
そう思った瞬間、店内のスピーカーから歪んだエレキギターの音が鳴り響きました。
そうです、珠玉のロックバラード、ノーヴェンバー・レインのギターソロです。
ロックな大人だけに許された空間の中で、モスコミュールを飲みながら聞くスラッシュのギターソロは、私達の心を一瞬にして撃ち抜きました。
私はそのあまりの衝撃に、このまま天に召されてしまうのではないかとさえ思ったほどでした。
「痛ーっ」
次の瞬間、私の胸の裏側あたりに激痛が走りました。
「あぁ、ここだいぶ凝ってますねぇ。はい次、あお向けでお願いしまーす」
私は一気に現実に戻されました。
どうやら私はまだマッサージの途中だったにも関わらず、ロックのマジックにかかり過去の世界へとタイムスリップしていたようでした。
ロックは時に、私達を過去へといざないます。
嬉しい時、悲しい時、寂しい時、悔しい時。
いつもそっと寄り添ってくれていたロックを聞くたびに、私達はその時の感情をありありと思い出すことができるのです。
ロック・イズ・タイムマシン。
あの頃の私は、ロックは激しくて、攻撃的で、暴力的な音楽とばかり思っていましたが、今はとても優しい音楽に思えるのです。