②私が出会った歴代のASDさん #元夫編
30年前、私は元夫と共に東南アジアの
某国の首都に在住していました。
ある時私は、原因不明の高熱により自宅で倒れ、
病院に入院していました。その際におこなった
検査で右の卵巣に腫瘍ができていることが
わかり、間を置かずして摘出手術をする
ことになりました。
私はその2年前に左の卵巣を摘出していたので、
担当医が言うには、放置したら更に大きくなって
残っている卵巣の全てを摘出することになるので、
病巣部だけを切除し、一部を残せるタイミングは
今しかない、ということでした。
通訳を介しての説明でしたし、何より
病み上がりで体力も気力も尽き、
言われるがまま事が進んで、
前後の事ははっきりおぼえていません。
担当医はアメリカの病院にも勤務していた、
敏腕の産婦人科医で、特に人工授精を専門に
しておられる方でした。
東南アジアの病院で人工授精?と思われる
方もおられると思いますが、海外では
基本自由診療で、お金があればどんな治療でも
できる病院は多く、実際私の入院していた病院は
ドバイやサウジアラビアなどの富裕層がこぞって
プライベートジェット機で治療にやってくる
ところで、不妊治療などは、技術も環境も
当時の日本より進んでいたのです。
元夫も同席していた術後の問診で、幸運にも
卵巣の全摘は免れたとのことで、いつの間にか
早速排卵誘発剤を使うような話の流れに
なっているのです。
どうやら、体外受精の治療の説明のようでした。
この国に赴任してからというもの、気候や
水が合わず、病院に通う日々が続いていました。
今のようにネットや携帯もない時代。
日本にいつ帰れるのかもわからず、
不妊治療どころじゃないのに・・・
心の中で、「ちょ、ちょっと待ってーーー」と
叫んでも声に出ず、元夫は無表情に
黙っているだけ。
いったい何が起こっているのかわからないまま、
元夫も何か検査をするとのことで退室して
いきました。
数日後、力なくベッドに横たわっていた私の
もとに、元夫は来るや否やベッドの足元の
ゴミ箱に何かをがさっと放りこんだかと思うと、
ゴミ箱ごと思いっきり蹴り上げました。
ひっくり返ったゴミ箱からぶちまけられたのは
大量の錠剤。
いいかげんにしろや!
お前はいつまで俺の仕事の邪魔をするつもり
やねん!
こんなことに俺を巻き込まんといてくれ!!
もう勘弁してくれよ!!!
元夫はそれだけ言い放つと、バンッと病室のドアを
乱暴に閉めて帰っていきました。
その時の自分の感情がどうだったか
はっきりとは覚えていません。
泣きわめいたり、怒りの感情が沸き上がったりは
無かったと思います。
あるいは自分がそういう扱いを受けるものも
仕方がないと諦めていたのか。
急に音が聞こえにくくなって手足が冷え、
体が石膏のような白く脆い物体となった感覚は
ありました。
一人取り残されてしばらくしてから、やっと
ポロポロと涙があふれてきました。
この人の子供を産むとか、夏休み家族で海に
行くとか、描いていた未来は、私にはもう
無いのだな、とはっきりと悟った瞬間でした。