個人主義についてのメモ
「個人主義」と「利己主義」が判別されないと全体主義に堕ちてしまう(自民党憲法改悪→全体主義はこのポピュラーな誤解を利用する)。個人主義の意味は吉野源三郎『君たちはどう生きるか』でも取り上げられてたような気がする。キリスト教は(仏教も?)究極的個人主義に基づく利他主義だと思ってる。
臨済を読み始めて(禅)仏教にもキリスト教に通じる今ここにいるおまえ自身が「仏」(基督教なら「神の宮」)であるという認識(開悟!)があることを知った。少なくとも、キリスト教圏で云う個人主義(individualism)の背景にはそういうこと(個人=神の宮)があると思ってる。
障害者であろうとだれであろうとそういう個人をないがしろにすることは神(仏)をないがしろにすることである。それが個人主義の根本教義だと思っている。
キリスト教圏や唐代仏教にあったと思われるそのような高貴な個人主義が今の日本にあるだろうか。ないだろう。だからこそ自民党改憲勢力が都合よく利用する個人主義=悪という手垢にまみれた涜神的思考停止(というよりも現実には利己主義の政治家による言葉の詐術にすぎないもの)が随所に行われる。