#105 ビジネス本を多読した弊害〜生産性の勘違い〜
ここ何年間かずっと、「生産性」とか「効率的」という自己啓発的なワードが頭の中にあった。ビジネス本の多読のせいだと思う。堕落した生活(パチスロや飲み)を送ってきた期間が長かったから、なおさら。「スキルアップのためには…」なんて柄にもなく考え、休日もTo Doリストをこなす自分に満足していた。
ある日、「やりたいこと100個あげてみた」的な記事を読んだ。「100個じゃ足りねえよ!」なんて意気込み、アプリをダウンロード。「あれもしたい!これもしたい!」のはずが、二十個でストップ。愕然、唖然、呆然。出てこないのだ!自分のコアが抜け落ちていた。行動の源泉とも言える、コアが。
「余白は非生産的でいい」という言葉を思い出した(皮肉なことにこれもビジネス本)。いつの間にか、常に生産的なことを、効率的にやらなければならないと思い込んでしまっていた。生産的なことが本当に生産的なのかも分かっていないくせに!である。そして、息子の言葉を思い出した。彼は、やりたいことを全力でやる。それも多種多様なことを。「石川!」と叫びながらジャンプサーブの真似。弱虫ペダルを観て、「振り子ダンシング!」と叫びながら自転車競技の真似。「真夏の大冒険!」なんて言いながらスケボーでトリックの真似。「いつ死ぬか分からんから、やりたいことは今のうちに全部やるのだ。」、極言。
とりあえず、リストに挙げた数少ない事柄をやってみることにした。映画サブスクに加入し、「最強のふたり」を観た。貸切サウナの予約をした。二十年会っていない、バンドのボーカリストに連絡し、飲みの約束を取り付けた。やってみたり、段取りをつけたりしていると、胸がぽわっとするような、高鳴るような感じを覚えた。少しだけ、ティーンエイジャーに戻ったような感じ。年を重ねると、よくも悪くも先が予想できて、予定調和的に物事を進めることができるからワクワクが減る。あの頃の僕たちは、予定調和を一番嫌っていたはずなのに!
非生産的なことの中にこそ、生産的な何かが埋まっているのかも。投資初心者の私が、値動きに一喜一憂しないのは、パチスロを通して「収支は曲線を描く」ことを学んだからだし、ベースをヴィンヴィン鳴らしているのは「やればやった分返ってくるという事実」を追体験するためである。あ、こうやって理由づけることが既によくないな。「ただやりたい!」という素直な感情に耳を傾けることが大事なんだと思う。ワクワクの師匠である息子は、夏休みの宿題もやらずに、ずっとリングフィットアドベンチャーをやっている。これでいいのか?笑
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