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自責3.0

はじめに

これは、「[いちばんやさし,いきいき]+いくおの Advent Calendar 2021」 2日目の記事だ。

今日は、うまくいかないときに陥りがちな「自責」思考をアップデートしよう、というお話。

「他責になるな」の呪い

「自責」「他責」という言葉がある。読んで字の如く、自らに責任の所在を求めるのが自責で自分以外に責任の所在を求めるのが他責だ。では、ビジネスの現場で好まれるのはどちらか?これは、自責だ。周囲に責任を求めるのではなく、自らの行動を省みる対象とし行動を変えていく。

自責を優先するという思考は、理にかなってはいる。自分以外を変えるより自分自身を変えるほうがずっと楽なのだから、自責を基準においておいたほうが問題に対処しやすい。

が、あまりにも自責思考が強すぎないか。他責というものを忌避すべきものとみなしていないか。

「私の能力不足で・・・」

業務上うまくいかないことがあったときに、その原因は自身の能力不足だと断定してしまうことはないだろうか。若くて素直で伸び盛りのメンバーほど、「私の能力が足りないので・・・」と自責しているように思う。

実際、その側面はあるだろう。経験がないから失敗する。経験を積みスキルを磨くことでミスの確率は減少していく。そういう観点からは、「私の能力不足で…」と自責し、自らの能力を磨く方向へと行動することは好ましいだろう。

本稿では、この何か問題が起きたときに原因の所在を自分個人と紐付ける思考を「自責1.0」と呼びたい。

自責1.0

それってあなただけの問題なの?

だがちょっと待ってほしい。経験の少ないあなたが、その経験値通りに失敗するということはチームメイトにとって看過してよいことなのだろうか。もちろん、実際に失敗して学んだ経験というのは尊いものだ。しかし、ドキュメントの不足、不備によって引き起こされたミスは果たして「私の不徳の致すところ」なのだろうか。

ここで「他責はよくない」という呪いがかかっていると、「いやいや、ドキュメントの不足、不備があるかもしれないということに気づけなかった自分が悪いのです」と考えてしまうだろう。しかし、そこまでできるのはもはやエスパーだ。

じゃあどうするか?ここで、「自己」の守備範囲を自分自身からチーム全体に広げて考えてみよう。

自責2.0

主語が「チーム」になると、「ドキュメントが不足している・不備がある」というのは他人に責任があることではなくなる。そのドキュメントの所有権は自分にもあるので、そのドキュメントの不足・不備を指摘し修正する方向へ持っていくことは、むしろ自分自身の責務となるのだ。

そもそも人間の問題なの?

さて、それではなぜ、ドキュメントが不足し、不備がある状態だったのか。チームとしてドキュメントの更新を怠っていたから、というのが答えだろう。

では、「ドキュメントの更新を習慣付ける」というのが取るべきアクションなのだろうか。もしかしたら、ドキュメントの更新がえらく煩雑なのかもしれない。えらく煩雑なものを「更新するべきだから」と愚直に取り組む姿は、美しいかもしれないが必ずしも最適ではない。

ここで、自己の意識をチームどころかチームを取り巻く環境まで持っていってしまおう。

自責3.0

そうすると、環境自体をよりよいものにしていくことが自分の責務になる。

他責がよくないなら「自分」の範囲を広げたらいいじゃない

ここまで読んだ方には、もしかして「結局、他責じゃん!」と思われるかもしれない。自分自身、たった一人の人間に責務を追わせるということ以外はすべて他責であるというのなら、そうだろう。

しかし、チームや会社という単位で仕事をする理由は「たった一人」ではなし得ないことをなし得たいからにほかならない。であれば、「自分」の範囲がたった一人である必要はない。自分の範囲を広げることで「たった一人」でなんとかする愚直な方法以外のアプローチが見えてくる。ぜひ、試してみてほしい。




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