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趣味に使う時間に対して「なぜオレはあんなムダな時間を・・・」って想っちゃうのはもったいない
「この時間で別のことができたのではないか」
ある方と1on1しているときに出てきた話。金曜の夜、趣味に没頭し気がつけば数時間。そのときは楽しかったが、その時間を使って自己研鑽するべきだったのではと悩んでいるとのことでした。
この時間で別のことができたのではないか?
この問いに対する答えは常にYESです。何かを行うということは、何かを行わないということ。だから、趣味に没頭していたならその時間は自己研鑽できないし、逆もしかりです。趣味というのは得てして非生産的なものなので、生産的な営みである自己研鑽よりも優先することに後ろめたさを感じるのかもしれません。
では、非生産的行為に時間を割くのはやめて、すべてを自己研鑽に捧げるべきなのでしょうか?
自分にとって有意義かで考える
あなたが没頭したその時間は、あなたにとってどのようなものだったでしょうか。積極的に身を投じる趣味であれば、充実した時間を過ごすことができたのではないでしょうか。ここで大切なのは「身になった」とか「スキルが上がった」とかでなく、「自分にとって充実していた」かどうかです。それを確かめるために、自分がその行動をとった肯定的意図を探ってみましょう。
事象: ガンプラを作るのに没頭してしまった
肯定的意図: 自分の手で、自分が好きなガンダムを作り上げる体験をしたい
この場合、肯定的意図を満たすほぼ唯一の行動をとっているべきなので、やるべきです。つくるべきです。
この状態で「いやいや自己研鑽しなきゃ」と無理にPCの前に座っても、ずっとデンドロビウムのことが頭から離れず集中できないでしょう。
では、以下の場合はどうでしょうか。
事象: ネットサーフィンしていたら無限に時間が経過してしまった
肯定的意図: なにか新しい情報を得たい
なにか新しい刺激はないかなーとネットサーフィンを始め、気がつけばけっこうな時間が経過しているというアレです。この場合、新しい情報を得たいという肯定的意図は別手段でも満たすことができます。勉強を開始するという最初のハードルを超えさえすれば「新しい情報を得たい」というニーズは満たせるので、グッとこらえて自己研鑽するのは悪い選択肢じゃありません。(※あくまで肯定的意図にフィットした場合の話です)
何に対して後悔しているかで見極める
では、その非生産的行為が時間を捧げるべきものだったのかそうでないのかは、どう見極めるといいのでしょうか。
それは、時間を使ってしまったあと押し寄せる後悔がどこに向いているかである程度推測できます。
なんてムダなことに時間を使ったんだ、とその行為自体に後悔のベクトルが向いている場合。その場合、それは実施しないほうがよかった可能性が高いでしょう。
なぜ時間をつかってしまったんだ、と時間の消費に後悔のベクトルが向いている場合、その行為自体には一定の意味を見出しているといえます。
自分の心を満たす非生産的行為には意味があります。非生産的だからといって一律で自分の回りから遠ざけるのではなく、自分の心を満たすものには手をだす、そうではないものは強い意志をもって遠ざけ、自己研鑽の時間にあてる。そのような分別がいいのではないかなーと私は考えています。
じゃ、ガンプラ作ってきます。