
コスパを意識しなくなったら、それは興味ではなく趣味だ
はじめに
これは、「[いちばんやさし,いきいき]+いくおの Advent Calendar 2021」十二日目の記事だ。
今日は日曜、趣味の話。興味と趣味の境界線はどこにあるのだろう?というお話。
値札を見ているか
あなたは本を買うときに値段を確認するだろうか。私はしない。
いや、昔は確認していた。3,000円を超えると「ちょっと高いな…」と思っていた。
しかしいつの頃からか値段は気にしないようになっていった。最初の頃は「これは仕事の糧になるから…」なんて誰に聞かれてもいないのに自分にいいわけをしていたが、今はそれもない。ノールック購入だ。
今年になってから、ガンプラを作るようになった。緊急事態宣言のあおりをうけて実家に帰ることができなくなったゴールデンウィークに、手慰みのつもりでνガンダムを一体。それで終わるつもりだった。
それがいまや、このていたらくだ。

ガンプラに関しても、当初はコストを意識していた。5,000円を超えるガンプラに対しては「いやいやプラモに5,000円はないだろう」って思ってたし、ナイチンゲール(写真上部右側にある赤くてデカいやつ)に対しては「あんなでかいもの置くところないから、自分が買うことはないな」と思っていた。思った2ヶ月後には棚に飾っていた。
このように「お金をかけすぎではないか」「スペースをとるのではないか」といった、かかるコストに対してそれに見合う便益があるのだろうか、というコスパを意識しなくなったとき、それは興味ではなく趣味になったと実感する。
興味関心の4象限
この興味から趣味への推移について考えながら、興味の手前についても考えた。もしかしたら、興味関心は4象限で表せるかもしれない。そう思って作ったのがこちらの図だ。

横に主体性、縦にコスト意識。
無関心
主体性が低く、コスト意識が高い状態
「やってみないか」「たのしいよ」と言われても「めんどくさいな」「そんなお金かけられないな」と思う状態
日和見
主体性が低く、コスト意識が低い状態
「やってみないか」」たのしいよ」と言われたらとりあえず一緒にやってみる状態
誘われない限りは動かない
興味
主体性が高く、コスト意識が高い状態
言われなくても自分から行動している
いつか飽きるかもしれないという気持ち、「自分のタメになるのだろうか」という気持ちがコストをかけることに対してのブレーキになっている
趣味
主体性が高く、コスト意識が低い状態
言われなくても自分から行動している
コスパ?なにそれ状態。それに対して投資、没頭することがデフォルトになっている。
物事に対しての自分のスタンスは、その物事に対する自身の行動をこの象限にマッピングすることである程度理解することができる。
スタンスを理解することで得られるもの
たとえば、仕事上必要だと頭で理解していて、勉強したいと思っているのに手が動かないもの。もしかしたら「無関心」の領域にいるかもしれない。だとすると「誘われたら断らないようにする」という行動をとり、意識的に日和見にもっていく、といった戦略を採用しセルフハックして意識を変えられる。
たとえば、いくらなんでもお金・時間をかけすぎで趣味どころか依存に足をつっこんでいると感じているもの。かけているお金、時間を可視化してコストを意識せざるを得ない状況をつくる。そうして趣味から興味にひきずりおろす。
このようにメタ的に自身の興味関心を把握することで、今ここの自分だけではなく将来なりたい自分をめがけて行動をハックできるだろう。
まあでも、楽しいようにやったらいいですよ
とまあ、自分自身をコントロール下において意識的に行動することも大切だ。が、心のままに動いてしまう対象があるというのは楽しいことだ。

私の場合、あまりに読書・ガンプラに没頭しすぎて睡眠時間が削られつつある。依存への第一歩だ。これはさすがにまずいので週に一度は休ガン日を設けている。自分の状況を冷静に見つめながらも、楽しいことに対して心の赴くままに没頭する人生。そんなふうに生きていきたい。