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あなたは「ありがとう」を言葉にしていますか?

「ありがとう」の力

ありがとうと伝えること、感謝することには大きな力があります。
その行動は望ましいものであった、というフィードバックになります。温かい気持ちが生まれ、モチベーションが湧いてきます。そして感謝は周囲にもポジティブさをもたらし、輪が広がってゆきます。
アジャイル開発の「ふりかえり」では感謝を伝えるためのプラクティスがいくつか存在します。このように、ビジネスの場では、意識的に感謝を伝えることが大切であると認知されつつあるように思います。

予想外のことは感謝を集めやすい

誰もできないと思っていたこと、誰もやっていないと思っていたことをやってくれた人に対しては、相対的に感謝が集まりやすいです。
「よくできたね!」「いつの間にやってくれたの?ありがとう」といった具合に。
解決されなかったと思っていた課題が解決されたときに感謝が生まれるのはよくわかります。

予想通りのことは感謝を集めにくい

一方で、定められた定型業務など、できるだろうしやるだろうと思われている業務は明確に感謝されることがそれほど多くありません。やって当たり前、と思われている節があります。

期待の範疇は人に依存する

そして、起こった物事に対して感謝が発生するかどうかは、その物事を起こした人と周囲の関係性にも依存します。普段そんなことをやらないと思っている人が為せばそれは予想外なので感謝されやすいし、逆ならそこまで感謝を集めないものになります。
よく使われる例えでいうと「さんざん悪さしてきた不良が子犬を助けるとめちゃめちゃ褒められる」みたいなやつです。
これは、周囲にとって価値を生み出すことが習慣になっている人ほど感謝を集めにくくなっていくというパラドックスにつながっていきます。
前述の通り、現代のビジネスシーンでは「感謝」の力がある程度認められ意識的に行われるようになっています。(そうじゃない現場もたくさんありますが。)だから、こういったパラドックスは意外と発生しづらいかもしれません。けれども、ゼロではないでしょう。

感謝の絶対値

大切だけれども、当たり前になっているから感謝されないこと。
いつも価値を生み出しているし周囲を助けているけれども、当たり前になっているから感謝されない人。
感謝を伝えないことは善意へのフリーライドと見ることもできますし、感謝が伝わっていないと「これは別に誰も喜んでないから、やらなくていいかも」とその行動をやめてしまうかもしれません。

感謝を伝えるという行為にコストはかかりません。いいな、と思ったら、ありがてえな、と思ったら、どんどん感謝していきましょう。

最後に:なんでこのnoteを書いたの?

ここまでビジネスシーンにおける感謝について書いてきましたが、このnoteを書こうと思ったきっかけは家庭での感謝のあり方について、とある意見をみかけたからです。

「普段家事をしない父親が料理をすると子供たちがとても喜ぶ。いいことなんだけど、普段から料理している自分(母親)としてはモヤモヤする。」

いろんなことを考えさせられます。そもそも父親、家事しなさいよとかいろいろ気になります。が、いったんそれら派脇に置いて、感謝の生まれるところ、その行き場が興味深いと感じました。
当たり前にやってくれている人には感謝せず、たまにやる人に感謝する。日常生活のいろんなところで起きているんじゃないでしょうか。
感謝が差分から生まれるものであれば、こうなるのも必然です。けれども、絶対値で感謝したっていいと思うんです。
突然の惚気ですが、私たち夫婦はちょっとしたことでも感謝を伝えあいます。洗い物しておいてくれたんだね、ありがとう。夜のうちに出汁とっておいてくれてありがとう。そういう感謝が関係性をよいものにしますし、ちょっと疲れているときにでも「まあ、でもがんばるか」と家事をやりきる原動力にもなります。
そんな感じで身を持って感謝の力を感じてるので、ぜひみなさんも感謝しあうことを当たり前にしてほしいな〜と思ってこのnoteを書きました。


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