【読書記録】吸い込まれるような音色が聴こえる|羊と鋼の森
小学生のころ、小さな団地に住んでいた。自分の家は4階。階段で上まで登る途中、いろんな家の音がした。観ているテレビの音、子どもが怒られている声、兄弟げんかをしている声、笑い声、誰かが飼っている虫の鳴き声。家に帰ると台所にお母さんがいて、料理をしている。自分の部屋の窓を開けると、またいろんな音がした。家の前の電線に止まっている鳥の声、近くの道路を走るトラックの音、そして、近所の子が練習しているピアノの音。
楽しそうに、、、というよりは、先生やお母さんに注意されながら、嫌々やっている人も多かったような…。
そんなピアノに関わる職業のひとつに調律師というものがあるらしい。ピアノの音や鍵盤を調節する仕事。確かに、働いている学校にも大事な行事の前には来校してやっているけれど、どんな仕事なのかはよく知らなかった。それはそれは奥がふか~い作業で、引きやすさや音の感じが変わるらしい。
音楽がよく分からない私にそれが理解できるかは心配だけれど、文面であれば分かる。柔らかい音、よく伸びる音、まるい音、森のような静かでありつつも生のエネルギーを感じる音。それはピアニストの弾き方だけでなく、調律師の調律具合によっても変わるんだとか。
それが分かる人でありたかった、と思いつつも今となってはどうしようもできないので、そのまま読み進める。ピアノというものを囲んでいる人たちの暮らしや人生、悩みが鞄の中で絡み合う充電コードみたいにぐるんぐるんに絡まっている。でもどの場所にも、どの絡まり合いの中にもピアノへの愛や音楽への愛があって、そこから感じる人のやさしさがあたたかい。
ピアノは冷たいものだと思っていたけれど、周りをあたためてくれる湯たんぽみたいなものなんだ。
次に調律師さんが来るときは、見学してみようかな。
好きな言葉
「枝の先がぼやぼやと薄明るく見えるひとときがある。ほんのりと赤みを帯びたたくさんの枝々のせいで、山全体が発光しているかのような光景を僕は毎年のように見てきた。」
ぼやぼや、ほんのり。そういう言葉が好き。日本語にしかない、やわらかい言葉は、カタカナで書くとまた違う意味になってしまう。まるいことば。
「あちこちに溶けている美しさを掬い上げることもできない。」
美しさを掬う。好き。
「明るく静かに澄んで澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」
これは尊敬している調律師さんの言葉。
「才能っていうのはさ、ものすごく好きだっていう気持ちなんじゃないか。どんなことがあっても、そこから離れられない執念とか、闘志とか、そういうものと似ているなにか。」
たまに体育系な言葉が出てくるのも好きだし、響いた。
「身体の芯がとろけるようで」
とろける。いい言葉。
本のこと
映画、観たいな。