vol.124/ 何よりも、私が持続可能でなくっちゃ
皆様お元気でいらっしゃいますか!?
私の住む地域は本日も、雨。
雨、雨、雨。
雨は嫌いではないですが、これだけ続くとやっぱり太陽が恋しくなってしまいます。
(そしてどうも雨の日は体調やメンタルにも影響が出てしまってなんだかなーという感じになってしまう)
さて、少し前に読んだ記事について書こう書こうと思っていたら結構時間が経ってしまいました。
その名も“「サステナブル疲れ」を感じたときにやめてよかった6つのこと”
これを目にした時、私はドキッとした。なぜなら私はどっぷりこれに陥っていたから。
この冒頭のメッセージだけでもどこか救われた感覚を覚えた。ってことは私、結構疲弊していたんだと思う。
環境団体での活動を積極的に行なっていた時期がある。
兎にも角にも学べば学ぶほど、知れば知るほど、ダークな部分やプロパカンダを目の当たりにする。それらを知り学び取った“その先の感情”はそれこそ人それぞれだが、私は怒りが湧いたし、そして虚しくなった。
未来の子供達へ美しい地球を残さなきゃ。
今すぐに私が変えていかなきゃ。
と奮い立ったのだがそれが結構危険で、ある種カルト的思考・思想だったと思う。(その団体でなく私の考え方が、だ。)
それからの私はあらゆるものを持続可能なものに変えていき、エコフレンドリーでオーガニックで、環境に配慮したものづくりをしている所へお金を落とそうと考え、そして生活をした。
それだけじゃない。
グリーンウォッシュにも敏感になりあらゆるものを毛嫌いするようになったし、お肉も魚も余り食べなくなり、ボランティアで環境問題についての講師まで始めた。そうすることでどんどんこれらを意識して生活を営む“必要がある”と感じたし、できていないことへの罪悪感でいっぱいになっていった。
もうお気づきの通り、私が一番持続可能ではなくなっていた。
どうしても突き詰めたくなる性格なことは自分が一番わかっている。ただ色んな物事において、良いことをしている気になっている時が一番周りが見えなくなるんだってことはすっかり忘れていた。追い込んでいくと突き詰めていくと、我慢も当たり前で、というか我慢も無理もなんのこっちゃわからなくなる。そうしている間に結構な負荷をかけ苦しくなっている自分にやっとのこと気がついた。とてもじゃないけど生活が辛いし苦しいし、全然楽しめていない自分がそこにいた。
そう、おっしゃる通りなんです。
超絶シンプルで、当たり前っちゃ当たり前で、なんでこんなこともできないのかと思っちゃうくらい、笑えるくらいその通り。でも突き詰めちゃうような私みたいな人間はそこが見えにくくなるよね。行けるところまで、もっともっと!と奮い立たせてしまって、戻れないところまで行く場合だってある。
何よりも、私が持続可能でなくっちゃ
これを肝に銘じて何事も取り組むよう心掛けるようになった。この言葉は私をどんな時も救ってくれるお守りのようなもので、判断基準にもなる大切な言葉。そして環境問題への取り組み方や捉え方に関してもできる人ができる時に、自分のペースでやれることをやる、と考えるようになりました。なんでも無理のし過ぎは良くない、特に“地球に良いことに取り組んでいるんだから”のバイアスは盲目になるなと学びました。もちろん今も持続させていることは多く、無理なく環境にも自分にも優しい生活を送っています。今ここに辿り着けたのも確かに突き詰めたからこそわかった限界のおかげかも知れませんが、でも皆が苦しむ必要はないから。
皆さんもぜひ、私が持続可能かどうかの判断基準を持って、無理なく快適に地球に良いことに一緒に取り組んでいきましょうね^^
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