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vol.205/ イイトシノトリカタ

さあ9月です、9月ですよ皆様。
今年が終わります。
(9月を迎えると今年が終わる感覚になるのは私だけでしょうか…?)

生き急いでいるわけではないけれど、上半期が終わり下半期に突入した7月、8月ではまだ見られない今年の終わりが、9月に入るとすーーーっと見え出す感覚が昔からあるのだ。決して生き急いでいるわけではないし、まだまだ夏を感じていたいという思いはもちろんあるんだけど、どうしても秋を感じてしまうし、今年の総仕上げを思うのだ。



さて、少し仕事で感じた話を。先日一つプロジェクトがゆっくり動き出した。…と言っても、話が持ち上がってから動き出すまでは結構タイトではあったがそのスピード感も嫌いではないどころかむしろ好きな方。準備に準備を重ね、シュミレーションも幾度となく重ねそこに備えていた。
先程動き出すまでタイトであったのに、プロジェクトがゆっくりと動き出した、と書いたのは自分自身に“焦り”みたいなものがなくなって“イケる”、“なんとかなる”と思えたからだと思う。恐怖や不安、焦りから駆り立てられて行動しているわけではなく、直感的にもイケると思えたその事柄を、冷静に見つめ準備を着実に重ねたこと、深呼吸をたっぷりして、冷静に目の前の物事(仕事)に取り組めているという実感(ここは自画自賛でももはや良い)があったからこそなのだと思えた。それは以前このnoteにも綴った直感の話とリンクする。

そうだ、どんな時でも選んだ側を正解にする力が大切なのだと。

そうすると例えば相手が焦っている様子や不安な様子を感じ取れるようになった。そう、昔私もそちら側にいた頃にはもちろん感じ取れていなかったそれを、反対側のじゃない方側へきてみたら、おやまあ全部が丸見えで。要は焦りや不安の渦中にいると、この全体像はやはり見えなくなってしまう。焦点が限られて、視野が途端に狭くなってしまう。でもそこから一歩でも半歩でも抜け出すことができるなら、こんなにも深呼吸ができながらも集中して取り組めたり、全体も見渡す余裕が生まれるのかと驚いてしまった。
そして振り返るわけである。私もこうやって先輩や上司に見渡されていて(お見通し)、そして愛をたっぷり与えてもらいながら叱ってもらったり、支えてもらったりサポートしてもらったりしていたのだと。だから今できることはこちらの側に回る事。愛を軸にして対応すること。


歳を重ねながら、経験値を増やしながら、こんな風に仕事に取り組める日が来るとは。私も歳をとりました。(これはとってもポジティブなこと)



そういえばこの前友人ファミリーで合同飲み会/おしゃべり大会を実施した日、1人から言われた言葉を思い出す。

“いい歳のとり方してるね!”

“イイトシノトリカタ!?”

そんなこと言われたこともなかったし、酔っていたしで色々恥ずかしくなって謙遜してしまった言葉だったけれど、とてもとても嬉しい言葉掛けだったと今更ながら思うのだ。仕事は私にとってバディでありツールであり、でもやっぱりバディなのである。



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