
vol.226/ 強制リセットと、再構築
夫が肩をすくめて帰ってきた。あまりにも珍しい光景にどうしたのか尋ねると、
“会社で運用していたSNSのアカウントが何者かに乗っ取られた”
というではないか。
まじか。
そんな悪質で陰湿なことがこんなに身近で起こるなんて。様々な手を尽くしてみたのだが、やはり取り戻せなかったという。彼は落ち込む姿を人前で見せるタイプではない。そんな人が目の前で肩をすくめているのだ。SNSの運用により力を入れていた近年、そんな時に会社のアカウントが乗っ取り被害だなんて、そんなもの誰だって怒るし落ち込むし、肩だってすくむだろう。それにしても彼のそんな姿は珍しく、私は“大丈夫、またゼロから作り上げれば良い!”と言いながらも、彼より怒りを言葉に出しまくっていた。
身近な人の身に起こった事って、自分の事よりも喜怒哀楽が激しくなる。喜びも大きいし、怒りも大きくなる。今日はきっと彼は眠れないだろうな、と思いながら横に居たが、何なら私より早く入眠した。そこが彼の素晴らしいところ。(だと思っている)そして次の日には昨日の様子が嘘だったのでは?と思うくらいに至って“通常通り”。いつもそうだ。私は彼のこの部分を尊敬している。私だったら凹んで凹んで当分地上へ戻ってこれないだろうから。
“乗っ取られてからの方がSNSの運用がしやすくなったし、
再構築していくことがとても楽しい!
今ではありがとうと思えてくるよ”
あなたは仏か。
肩をすくめていたのは1日くらいだったんじゃないだろうか。私にそこに到達できる見込みは今のところない。とは言え彼は超絶元気であるし、やる気に満ち溢れている。半ば強制リセットされたことにより、ずっと引っ掛かっていた何かがとうとう吹っ切れたらしい。確かに見ていてもその清々しさを感じる。
作り上げてきたものって、大きくなればなるほどに手直しが難しかったり、あとで手直ししなかったことを後悔したり、やはりその歪みが出てきたり。修理の箇所が増えれば増えるほどやはり手が掛かり、0からやり直したい想いはあっても自分の手で壊す勇気もない。どこか気持ちも宙ぶらりな状態が続いてしまい、どこをゴールにするのか“落とし所”を見失うこともある。
そんな時、特に望んでもいないしもちろん願ったわけでもないことが突如として起きる。今回のアカウントの乗っとりを誰が望むか。ただしこれが、強制リセットであり仕切り直しの合図だと彼のように捉えられたら、それは再構築のチャンスでもあるのだ。
やはりどうしても今の私には、流石に1日でその心境に至れる自信はないが、この一連の流れを見ていると
どんな現象も捉え方一つでイキイキもするし清々しくもなるし、
ずっと肩をすくめていることにもなるのだな、
とちょっと恐ろしくもなった。
私はその時どれを選択するか。
今目の前にある現象をどう解釈し消化するかは、いつだって自分次第なのだから。