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【Shake it off. vol.092】 、だから日常にARTが必要だ
ゆっくりゆっくりすると決めた1月2月が終わり、軽やかに3月を迎えられました。皆さん春のスタート、いかがお過ごしでしょうか?
ゆっくりと立ち止まってみると言う恐怖の60日間の先にあったものは先週この記事に書いた通り。
マグマのように熱いものが根っこにある(あった)、新しい自分。
一見無意味のようなことを“敢えて”するってことがとってもとっても勇気のいることではあるんだけど、それによってもたらされるものは自分にとって大きなものだったと実感できました。
中でも自分のやりたいことと向き合うと見えてきたそのプライオリティー上位にあったアートとの触れ合い。
パンデミック後、私の趣味だった美術館やギャラリー巡りが容易にできなくなってしまって早2年。アートやカルチャーの為に自らの足を運び、目で見て五感を使って体験経験すると言う触れ合いがデフォルトで位置し続けていたのに、突然スパンと却下されたような奪われたような感覚を長いこと持っていたことにも気が付き、以前Podcastで聞いて気になっていたこの企画展へ。
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文字と体験から得られる、問いと希望 -2121年 Futures In-Sight」展-
英語では優れた視力を「20/20 Vision (Sight)」と表現します。私たちの「21_21 DESIGN SIGHT」という名称は、さらにその先を見通す場でありたいという、「未来」へ向けた想いからつけられました。この展覧会が始まる2021年から、ちょうど100年後は2121年--。私たちの活動の名称と同じ数字を持つ100年後の世界に想いを巡らせるところから、本展の構想は始まりました。
古くから人々は、明日の天気から、その年の作物の収穫、将来の国の繁栄まで、まだ見ぬ先の世界を捉えるために、さまざまな予言や予測を行ってきました。近年では、情報解析や計測に関するテクノロジーの著しい進歩に伴い、より精緻な予測が可能になっているように感じられるかもしれません。しかし、そもそも「未来」は過去の延長線上にだけ存在するものでしょうか?
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過去っ?
未来って?
現在って?
そして時間って?
自分が思う自分の“当たり前”の考えや、“普通”というバイアスを覆すのが“新たな視点”や“問い”だとしたら、だから日常にARTが必要だと言えると思っていて、逆にアートは非日常でもただの娯楽でもなくって、“ただの”日常そのものなんだろうとぼんやり思った。
どれだけインサイトできるか。
この企画展の問いであり、自分自身にとっても新たな問いが生まれた気がする。答えを見出すだけが答えじゃないし、正解でもない。問いを自分で育むのも問いの着地点を時間をかけて生み出すのも面白いし、ARTなのだ。