【Shake it off. vol.062】 _ _ makes me who I am./仕事ⅱ
前回の記事に続いて_ _ makes me who I am./仕事のⅱをお届けします。
常に頭の中にあるもの
ワーカホリック=仕事中毒は時代に合っていないし、ダサいと私は思っている。様々なものやことを犠牲にし自分だけでなく周りをも巻き込む時点でやっぱり良くないし、何よりもあらゆることが持続可能でないことは間違いないのだから。
しかし、私の頭の中には常に“仕事”がある。
20代の頃は上記に書いたようなワーカホリックそのものだったと思う。寝ても覚めても仕事のことで頭がいっぱいで、早く進めたいから誰も出社していない時間に出向き仕事を始めていたし、休みの日は仕事をしていない自分が不安で不安で堪らなくなったりしていた。例えば休みの日なのに友達と遊んでいる自分はダメなんじゃ無いかって思えてきて殆どの誘いを断り家で出来る仕事をしていた。(あとは休日の度に体調をすこぶる崩していた)兎に角、仕事をしていないととってもとっても不安だったのだ。…当時結構末期だったんじゃないだろうか、書いていてゾっとする。
私の頭の中には常に“仕事”がある、と書いたが、今の私は20代の頃のような頭の中を仕事で占領され金縛りに遭っているような状態でないことは確か。(私が勝手に縛り付けていたと言った方が合っているかも知れないけれど)
何が一番に違うのか。
“仕事が私の人生の全て”だったものがある時、“仕事は私の人生の一部に過ぎず、全てではない”と分かったからだ。金縛りはみるみる溶けていき、頭の中を占めていた仕事の量は小さくなり、それでいて今まで見落としてきてしまった私の仕事以外の人生がどんどん空いたスペースに入ってきてくれるようになった。常に頭の中に仕事はある、けれど前とは似ても似つかない別世界が広がったようだった。
仕事は仕事以外からの学びが大切なのかも知れない
仕事をしていて思うことがある。仕事こそ個人の人間力が試され、その人間力を大いに披露されるものは無いと言うことだ。どんな仕事であってもそれは関係が無く、人間同士のやりとりで仕事は作られ出来上がり世に生み出されていると考えるからだ。(機械もAIも、人間が作り出し人間が動かしているなら人間の仕事だと思う)個人がどういう風に仕事を進めるか、どんな言葉を使いどのように人を動かすか。またモノの扱い方はどうか、緊急事態の時の対応はどうかetc…淡々と業務をこなしているようでも、仕事には随所随所にその人の人間力を感じさせる要素がちりばめられているのだ。
そう考えられると職場で学ばせてもらった技術はもちろん業務に活かせられるが、その他のことはやっぱり仕事以外から学んでいくしかない。仕事だけではカバーしきれないことが沢山あって、喜びを感動レベルで常に提供したいなら尚更自分がまず喜びを体験しないといけないし、感動を味わわなければいけないのだ、体験したことしか私たちはやっぱり提供できないのだから。
仕事のために、じゃなくなった時
そんな風に考えられるようになったのも恥ずかしながらそんな昔の話じゃ無くって。それは独立してからだったと思う。属することで得られる多くのモノがあるのも事実で、但し属しているからこそ見えなくなるモノもあることも事実だと大いに実感している。多くを知っていると勘違いも甚だしいが、そう思っていた私にとって独立してから見えてきた世界は余りに広すぎて、たくさんのモノコトに支えられてきたんだと心底味わったし、知らないことで溢れていた。また、今までのルールや規則がどんどんぶち壊され(ぶち壊すしかないとも言える)アップデート、またアップデートのオンパレードを体験する。今までだって間違いではなかったけど、そう思えてくるくらい別世界に移行したようなそんな感じだ。ちょうどそんな体験の真っ只中、あらゆるコトを仕事のためにすることを私はやめた。
これをやったら仕事に活かせるかもしれない
これも仕事で使えそうだ
仕事に活かしたいからこの手段が欲しい
私はそんな思考を持っていた人間だ。このような思考が別に悪いことでは無いことを先に伝えておく。ただ私はこの思考では苦しくなっていたし、何より上手くいかなくなってきた。思考はこう働くのに、気持ちや心がストップをかけてくるからどうしても前に進まなくなるのだ。冒頭に書いたワーカホリックが持続可能で無く時代に合っていないことと同様、この思考が私にとって合わなくなってきた(賞味期限)ことの現れだった。
癖を変えていくって中々にしんどい。
どんな思考が今の私にフィットし、心地良く仕事をしていけるんだろうか。そんな自分への質問を頭の片隅に置き、日々過ごしていた2020年だったかも知れない。いつからか仕事のために、という思考は薄れ、今やりたいことは?と問う自分になってきた。未来のために、じゃなく、今どうしたいか。そんな思考と言えるだろう。それが面白いことに仕事のために始めたわけじゃないあれこれが結果としてとてつもなく仕事にも活かされだしたから自分でもビックリしている。(そして心の中でやっぱりな、と腑に落ちる自分もいるのだ)
長くなってしまったが、私を形作る“仕事”という存在はやっぱり人生の一部であって全てではなく、だからといって“仕事”が欠けてしまったら私はバランスを崩してしまうだろう。こんなに真面目に考えているなんてコトもnoteに示さなかったら分からなかったけど、今言える私を形作る“仕事”という存在は、それこそ日々を形作る新しい経験・体験・発見を通して出来上がっているということ。そしてそれには終わりが無いと言うことなんだろう。
今週も読んでくださりありがとうございました^^
3連休最終日、素敵な日を…♡
love!
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