vol.120/ 人の記憶なんてものは1番あてにならない
先日、大恥というものをかきました。
それは単純に“思い込み”からもたらされたこと。
人間思い込みでできている、っていうのはあながち間違えちゃいないなと思えた瞬間でした。
あー恥ずかしい恥ずかしい。
恥ずかしいからここでは詳細は伏せますが(笑)
“いやこうだ、絶対こうなのだ、あなたが間違えている、証拠だってある(その証拠すら思い込みによって記憶違いになっていた)、私が正しいのだーーー!!!”と主張した私だったがことごとくこれら記憶は間違いだらけ、自分の都合の良いように解釈され記憶に刷り込まれていただけの本当にただの思い込みであり、勘違いだったのでした。ちゃんちゃん。
…と、ちゃんちゃんでは終えられない。
相手には“私が間違えていました、失礼しましたーーー!!!”と心を込めて謝罪させてもらい、とっても大人なその人やその周りの人たちも嫌な顔ひとつせずその場をまとめてくれたのでした、あー本当にお恥ずかしい。
そんなわけで人間自分の勝手な解釈で記憶し、思い込みによって一喜一憂していることって多い。実に多い!これまでのガールズトークでどれだけ“それは本当に相手の思っていること?あなたが勝手に解釈して話を拗らせていない?”なんてたいそれたことを言って諭してきたわけだけど、今回はそれのそれ。心から反省し、そして相手方に感謝感謝なのでした。
人の記憶なんてものは1番当てにならないことを痛感した出来事だったけど、まだまだ他にもそんな思い込みが蔓延っていて、それによって好転していくこともあれば今回のような大恥をかくこともあるんだろう。また自分に自信があることと、相手を認められない自我や傲慢さは=でも≒でもない。全くの別物であるのに私たちは=、もしくは≒として扱ってしまっている。(私含め)それは結構恥ずかしいことなんだと身をもって感じたし、その場で顔を真っ赤にしながらも失礼しました!と言えた自分だけは褒めてあげようと思った。
これまでの美しい記憶や思い出を否定するわけではない。でもあの甘酸っぱい記憶や、温かい思い出を複数人で共有した時それぞれがそれぞれの解釈で思い出を記憶しているなんてことも珍しい話ではないし、私も以前経験済み。だから人間の脳なんてその程度のものなんだって思ったら少し気が抜けて許してやろう自分のこと!なんて思えて楽になれた私がいました。
とっても曖昧で自分勝手なんだ、人間って案外。
それも人間らしくって愛らしいと思えたら自分にも相手にも優しくなれる世界が生まれるな♡と本日はハートフルに、ピースフルに締めくくります。
それではまた来週^^
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