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vol.207/ 7年の歳月と、グラデーション

早いもので“教育”という分野に携わるようになり、7年目を迎える。先生!と呼ばれることにソワソワするまだ不慣れな自分もいるが、7年という思ったより大きめな数字を目の当たりにした時、良くぞ良くぞやってきたな自分!と今なら面と向かって言えそうな気がした。そう思えるまでかなりの時間を要したなとも思うし、不甲斐なさをまだまだ感じることもあるけれど、自分のラッキナンバー7(勝手に決めているラッキーナンバー)という節目に少しでもそう思えたなら、それだけであっぱれだ。

独立と同じタイミングで飛び込んできたこの教育分野のステージ、当時まだ20代だった私は自分で自分を追い込んでは自信喪失を繰り返していて、自信のじの字もない。にも関わらず、このままではいけない!と何にも用意をせず独立を決め、心に不安と恐怖と焦りばかりを抱えて重々しくなっていたちょうどその頃この話を頂いたのだった。空回りばかりの自分だったがどこかでそれも含めまるっと全部見守ってくれていた人たちがいるということに気が付いて、期待に応えたいと強く思った。それと同時に、こんな私が人に教えることができるのか、人の上に立って良いのか云々、また恐怖と不安が押し寄せる。でもこの時前者である期待に応えたいが勝って、そして数年後の今良くぞ良くぞやってきたな自分!と自分自身に投げかけられるようになったことが嬉しくもあり、何だか節目感がある。(まだこのジャーニーは続くが)
何はともあれあの時、前者である期待に応えたいをチョイスしたこと、そして挑戦できたこと。本当に良かった!と心から思う。

但し言わずもがな、何もかもが順風満帆とは真逆でそれは逆風とでも言えようか。それもそのはずスタートした当初の私は今よりもっと心と身体と頭、全部がチグハグで自分で自分がわからないカオス状態。こうやりたいという頭と、行動に移せない身体と、本当のところは何かが違うという心。そう、相当にチグハグなのだ。さらに若さも相まって、プロフェッショナルとしてカッコ良く凛として見られなきゃ、ナメられたくない!なんて思いもちらほらあったもんだからもう書いているだけで恥ずかしいけれど、全部全部事実。こんな見てくればかりを気にしていたのも束の間、相手と密に向き合う度に自分自身が試されているかのようで、それも全部事実なのだった。相手と向き合っているようでも、自分と向き合っているということをこの時身をもって学んだ。よく聞く“相手を変えることはできない、変えられるのは自分自身だけ”という言葉はまさにその通りで、この経験から自分の深いところに落ちて、そして満ち満ちた。

またこの新しいステージにも慣れ始めた矢先、世界が一変。パンデミックに突入し教育現場も一変した。私はというと折角慣れ始めた環境がいとも簡単にぶち壊されたような感覚にさえなっていた。そんな主観とは裏腹に、ふとその現場の様子や世界の様子を俯瞰する視点を持てたことで、新たに見えてきた世界線がそこにはあった。殊更現場においては皆が戸惑っている様子は下っ端ど新人の私も、ベテラン勢も皆振り出しに戻され、皆が同じスタートラインに立たされている。そして今まで通り同じことをやれる訳ではなく、もう後には戻らず新しいものを築き上げていく本当のスタートラインに立った、という感覚でありまさにパラレルみたいな世界線。そう感じたのはきっと私だけなはずがなく、きっとあなたもあなたの周りにも居たはずで。もう後戻りはできない別軸のスタートラインに立ったのだ、と感じたのではないだろうか。

そしてこのスタートラインからまた数年たった今、確かに当初との違いをひしひしと感じながらまた日常を送っている自分がいるし、その当初との違いはとりわけ良い方向を向いていると思える。個人単体においても今までより息がしやすく、良い空気を吸えている感じ。とってもフラットで在れるのだ。また心なしか自分の周りの人々も息苦しさを感じている人は居らず、良い意味で力が抜けフラットとウェットさが増したように感じ、それはそれは清々しく気持ちが良い。そんな現場から生まれる教育は、きっと私が不器用ながらスタートした7年前とはまるで違ってみえ、そしてもうきっと戻ることはない。それは皆が新たなフェーズのスタートラインに立たされたことで自然体になり、ある種ギュッと力んでいたものが抜け落ち、それに伴い莫大なパワーを注げているかの様にも見える。それぞれがそれぞれに集中している様はやっぱり以前とは似ても似つかない。それら好循環が手に取るようにわかること、また自分自身も相手とより良く向き合えていることも含め、パンデミックを間に挟んだ7年という歳月から感じ取れる。

もうかなり昔のことに感じるこのパンデミックや、それに伴いあらゆるシステム変更を半ば強制的に強いられた私たちが何とか作り上げた今の日常というものは、数年前までどう考えても非日常だった。“だった”と言えるようになるまでやはり数年かかるのをこの経験を通しても窺える。変化に適応/順応するまでにはグラデーション移行期間が必ずあるのだと思うし、そのグラデーションに長短はあってもパッと反対色へ切り替わることは現実世界にはきっとそうそうに無い。社会システムはもちろん、その他諸々がそうである様に私たち個人だってきっとそうで、長短はあるがそれぞれグラデーションを経て変化に環境に適応/順応するもの。その変化の真っ只中にいる時は不安や恐怖で押し潰されそうにもなるし、周りも自分のことさえも見えないことも多々あるかもしれないが、ふと俯瞰して見ることができたら、様々なルートがみえてきてそれぞれの現在地が見えてきて、近道も遠回りの道も見えてきて…
そう、自分が見えているものや感情とを一旦切り離し、俯瞰したり客観的に物事を捉えられた時、新しい世界線が現れる。そして今まで見えていなかったグラデーションも見えてくるような…。そんな視点を人生のツールに加えることがこれまでの目的だったのかもしれない、と今思える。7年の歳月と、グラデーションをだ。

冒頭でも書いたように勝手に節目にしているが、このジャーニーはこれからも続いていく。それでも今思うのは、あの時の挑戦は7年後に思う目的に繋がっており、そしてこれからもまだ見ぬ何かに必ず繋がっている。そう思うと今また何か新しいスタートラインに立たされた様にも思えて、これから何が始まっていくのかワクワクする。ただ一つ、物事は繰り返している様でアップデートをし続けており、同じものをただ繰り返している訳ではないのだということ。全部全部、社会も自分も含めて。




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