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vol.224/ カラダcleanup
40℃を超える高熱を出した。
実に小学生ぶり(!)
ここでちょっとした自慢をさせてほしい。私は中高専と皆勤賞獲得という栄光を手にした女だ。何年も、何十年も高熱は出していない。だからこそ突然の高熱は面食らった。それにしても人間40℃を超えると結構しんどいし怠いなあ。
昨年からズルズルと長引かせていた風邪がここにきて一気に花開き、約25年振り(!)の高熱を打ち出した。しかし先週、今年最初のnoteでも書いたように、取り分け咳と鼻水が凄まじく、熱が出ているしんどさみたいなものを微塵たりとも感じなかった訳で、病院へは週明けに行ってこようと思い実行。家の体温計が電池切れであったことを言い訳に、病院へ行って初めて測ったらなななんと、38.5℃あるではないか。
目が飛び出るはずもないが、この時ばかりは飛び出ていたと思う。まさか私が?まさか流行病?ビョーン
すぐさま車待機となり、(まだこの時私は目が飛び出たままだったと思う)呼ばれるのを待つ。全然動けるし、怠くないし。
だがしかし、数字を目にしてしまうと突然怠くなってきちゃった。人間って本当に単純だ。
ようやく看護師が呼びにきてくれた。表の入り口からではなく、裏口から通された私はVIPなのではなく、流行病(仮)。ポツンとベッドが置いてあるだけの小さな部屋に通されまた待機。患者があちらこちら動き回るのが病院の常だと思っていたが今日は違った。立ち替わり入れ替わり看護師や医者が私の元を訪れる。念の為、私はVIPなのではなく、流行病(仮)なのだ。そして生まれてこの方やったことのない流行病かが同時に分かっちゃう検査を実施。過緊張。鼻のグリグリは想像よりは痛くなかった。結果が出る数分間が一番過緊張だったのは言わずもがな。やがて医者が私と距離を取りながら伝えた。
どちらも反応はなかったですよ。
過緊張からの過安堵。過安堵し過ぎて頭がふわふわしてきた。いつから熱が出ていたのか分からないこともあって、流行病だったとしても反応が出ない場合があるという説明と、今兎に角薬が足りていないのだという説明があり、カロナールだけを貰って帰ってきた。
やれやれ、とは言え、さあどうしよう。
流行病では無かったにせよ、仕事もあるし、何より夫には移したくない。だが隔離できる空間でもない。過安堵したのも束の間、大人になって高熱を出したことのない私はあたふた、また頭がふわふわしてきた。それから2日後がピークで40℃を超える高熱。さすがの私も怠さを感じた。ちょうど先月、妹と公開を楽しみにしていた“はたらく細胞”を劇場で見てきたばかりだったこともあり、私の細胞たちが今病原菌と闘っているのだ!がんばれ!私の身体!と声掛けしていたら、同じタイミングで妹から“ばいばい菌だ”とLINEが届いた。おお、ナイス!それにしてもよく作られている映画だったなあ。
やはり健康であることは何よりも大切ですね、とつくづく。これまで断捨離を続けてきた私が気がついたことは、【人の気持ちなんてものはうつろいやすい】ということと、【私を取り巻くコトモノヒトは、今の私にフィットしているか】ということ。それが今回の高熱にも当てはまる気がした。人の気持ちと同様、身体もうつろう。いつも同じで、これまでと同様であることもまた無い。そして私を取り巻くあらゆるモノと今の私の身体はフィットしていたか?恐らく今回は何処かにズレが生じていてうまくフィット出来ずにいた身体がSOSを発したんだろう。OSのバージョンアップに伴い、要らないものを整理する、或いは捨てるという作業が今私に必要だったのだ。時計の時刻合わせをするように、自分の身体をクリーンアップしフィットさせていく。またそれがズレてきたならば、また同じように合わせていけば良い。ただそれだけのことで、きっと未来が変わる気がする。
今は無理せず休むことに決めた2025年明け。
皆様も無理なく今日もお過ごしください♡