vol.128/ 左脳バイアスがサインの邪魔をしていたとしたら
秋が深まってきた11月、皆様いかがお過ごしでしょうか?
毎年仕事上トップシーズンを迎えるこの時期は、目の前のことに一点集中しがちで、折角の美しい季節の変化を楽しんだり感じたりすることもなく、ザザーっと過ぎ去ってしまい、一息つこうと気が付いた時にはもう年末。なんてことが毎年のことでした。書いていてもとってもとっても勿体無いことを…と思ってしまいますが、仕事ができていることに関しては身体が健康でそして社会に貢献できているということ、有難いといえば有難い。でもやっぱり一息つくことなく走り抜けてしまうことに関しては、もう少し工夫が必要だなと。
そして久しぶりに1人で泣きました。
まあまあ溜め込んでいたんだと思う、おいおい泣いてしまったから。笑
でもこのような溜まってしまっていてどう消化していいかわからなかった感情を上手く出してあげるという意味では良いアクションだったと思う。こまめに出してあげないと後でかえって大爆発のような溢れ方をする場合もあるし、1人で消化出来ないほどのものになる場合だってある。(そう、私は20代で何度も経験済み)何か悲しいからとか、辛いからといった類のものではなくって、もっとちょっとずつ溜め込んできてしまった色んな色形をした感情を放出した気分だった。そしてやっとやっと“疲れていたんだね、いつもお疲れ様自分”と認めてあげることが出来ました。
どうしても日々生き急いでいる感が否めない日常であり、情報は溢れかえって飽和状態、カオスな世界に私たちは今生きています。前にもここで書いた通りこれらは今より減ることは恐らくなく、増えていく一方であることは間違い無いと思うし、明るみに出てくるダークな真実を目の当たりにする場面も当分続くのだと思う。世界がこんなに変わっているんだから私たちの日常ももちろん多大な影響を受けていて、そして正解も安心安全も無い日々を懸命に営んでいます。
誰もが重たい荷物を背負っていて、でも今こそ降ろして良い時だと思う。
知らず知らずの間に背負っていたものたちがもう必要ないだとか、そんなに大切なものじゃなかったとか見直すきっかけになって、そして“それならもうここに置いていこう”と思えました。
実はこのおいおい泣く事件(!?)のちょっと前から前兆があったことも確かで。それはちょっとした違和感ってやつです。
この泣いてどうのこうのって話がメインではなく、こちらが今日のメイン。そう違和感です。それは人に対してもあることだし、場所や環境諸々本当に小さなことにも色んなことに当てはまります。別にあなたが変わったわけでもないし、環境が変わったわけでもない。なのにどうしてもしっくりこなくなったり、居心地が悪く感じたり、退屈したり。これがある種サインだったのだと思えるまでのタイムラグは人はどうしても左脳で考えてしまうからだと思っていて、私の場合もまさにそうでした。
今までの恩があるから
今までは楽しく過ごせていたのに
今まではこの場所が安心だった
今まではここが安全だった
こういう左脳のバイアスがかかって折角のサインを見逃してしまったり、先送りしたりしてタイムラグが生じたりするわけです。今考えると心のどこかではもう解っていたことだった、なんてことが多いと思う。そしてその違和感の積み重ねがどう出して良いかわからなくなった時、今回私は涙という形に変えて感情が流れていったのだと。
だからこの左脳バイアス、侮れない。
感覚で解っていたとしてもこれらが打ち消してしまう。この仕組みが解っていないとそのまま違和感を無視してしまうことになって、そうするともっとズレが大きくなっていき歪みができてしまう。
そうなる前にやっぱりちょっとした違和感に気がついてあげましょう、私もあなたも。たまに子供のように泣いたって良いと思うし、そんな時間が私たちには必要だと思うから。
それでは今週も発見の多い一週間となりますように♡