動物問題連続座談会第1回 動物から考える社会運動③動物運動に対する風当たり
わたしたちはなぜハラスメント運動/野宿者支援をしながら動物の運動をするのか?——動物問題連続座談会の一回目第三弾。野宿者支援・労働運動など複数の問題に携わってこられた活動家の生田武志さん・栗田隆子さんをゲストにお呼びし、交差的な運動についての議論を深めていきます。
*記事化にあたり、動画の内容を加筆・修正しています。
社会問題として認知されていない動物問題
——では次に、動物運動への風当たりについてお聞きしていきます。動物運動に限らず、運動全般ですが、特にアート業界では、「僕はアートをやりたいんであって運動をやりたいんじゃないんで」みたいなことを、運動をしている人に向かってみんな平気で言うのを耳にして、運動はアートより「下」であり「ダサい」ものと見られているのを感じます。
最初はみなさんに、特に動物運動について、どんな困難や風当たりがあるのか教えていただきたいと思います。
生田 そうですね。貧困問題とか野宿問題をやってる人でも、動物問題に関心を持っている人は少なくて、集会などの打ち上げでご飯食べる時に、「僕、肉食べないんで」と言うじゃないですか。そうするとやっぱり説明しないといけなくなってくるんですけど、どう言っていいかわからなくて結構大変なんですよ。説明すると自分が批判されていると感じちゃうのか、「だって植物だって痛みがあるでしょ?」と、それこそ100年前からの議論をふっかけられたり、そうじゃなくても「違う世界の人」みたいに思われたりすることはありますね。そういうのはめんどくさいし消耗します。
あとよくあるのは、動物問題の資料を読んでいると「動物が好きなの?」と聞かれちゃうんですね。一応、「いや、動物と人間の関係に関心があるんです」と答えるんだけど、たとえば男性がフェミニズムの本を読んでいて、「女性が好きなの?」と聞かれたりしないと思うんですよ。動物問題はそれとまったく同じなのに、どうも社会問題としてしっかり認知されていないんですね。野宿問題や貧困問題についてはこの10年くらいである程度コンセンサスができてきたと思うんです。僕が運動をはじめた頃は、「野宿なんて自業自得」とか「浮浪者」みたいな言い方がされていたし、「野宿の人=まったく別世界の人」といった感じがあったけど、2000年以降多くの人が野宿になって、派遣村もあって、生活保護の問題もいろいろ言われるようになって、ある程度社会的に認められるようになってきた。だけど動物問題ってたぶんアメリカとかヨーロッパでいうと1960年代くらいで止まっている気がするんですね。なので、動物運動をやっている人は他の世界だったら50年前くらいにやっているような苦労を今もやっているのかなという気がします。
ヴィーガフォビア(ヴィーガン・ベジタリアン恐怖症)
——レナさんはどういうふうに感じていますか?
深沢 ヴィーガンになることって、人間関係の問題が大きいんですよね。わたしもヴィーガンになって、「ヴィーガンになった」と言ったら、それ以来、まったく食事に誘われなくなる友人もいて、人間関係が変わりました。
* 最近ではこういう本も出ている。
あと、ヴィーガンであることと、セクハラ被害者であることの、この国で受ける重圧や風の強さの感覚が似ているんですよね。さっき、牛肉が食べれないことをアレルギーのせいにしてたという話をしましたけど、基本的に日本だと他人と異なることを自発的に選択しているということに対して理解がないので、異なることをしている人の方が気を使わなくてはならないという空気がある。「アレルギーだから」と言えば受け入れてもらえるけど、「ヴィーガンだから」と言うと怪訝な顔をされる。ヴィーガンにしても、セクハラ被害者にしても、そのことを隠していた方がよさそうな空気がある。「わたしヴィーガンです」と言って、みんなにヴィーガンのお店にきてもらったら、「気をつかわせてごめんね」とわたしが謝らなきゃいけないような圧力をたまに感じます。それもある種の「自己責任」なんだろうな、という感じがします。
その重圧を特に感じたのは、海外旅行に行って帰ってきたときでした。もちろん海外でもヴィーガン嫌悪はあるんですが、理解してくれる人も多いので、わたしがヴィーガンだというと、だいたいは「ああ、ヴィーガンね」とサラッとしていて、逆にリスペクトされたりすることもあった。「すごいなー。僕も興味あるんだけど、なかなかヴィーガンになれないんだよね」みたいな話をよくされたんですけど、日本だとむしろ警戒されるのを度々感じます。
だから日本に帰ってきたとき、ジェンダーの問題でも鬱々としたけど、ヴィーガンであることで普段こんなに無意識に気をつかっていたんだということに気づいてぐったりしました。まず、日本だと日本語で「ヴィーガン」ってグーグル検索する気がおこらない。必ず予測変換で不快な言葉が目に入ってくるから、そこで気が削がれるし、お店を調べるときは、「有楽町 ヴィーガン」みたいに、ヴィーガンという言葉を絶対にうしろに入れるようにしてるんですよね。そういう気遣いをわたしの方がいちいちやるのは当たり前になっちゃっていて、そういう日々の小さいことの積み重なりで結構疲弊してるんだな、というのは感じます。
* 「ヴィーガンは健康に悪い」というイメージを流布する著名人
被害当事者やヴィーガン・ベジタリアンと周囲の人たちとの問題意識の差
深沢 わたしの周りには、ヴィーガンと言った途端にご飯誘わなくなるような人はいなくなったので、ヴィーガンということは受け入れてくれる人は多いけど、ただ、それを個人の問題と思われちゃう傾向はあります。動物のことは自分たちの問題でもあるという意識が抜けている人が多いのかな、と思います。
セクハラも、被害者個人の問題みたいにされてしまって、大学院にいた先輩からも、「裁判がんばってね!」と軽いノリで言われて、「あなたたちに当事者意識はないの?」とびっくりしてしまったのですが、なかなか周囲が行動しない。他人事になりがちですよね。これは自分たちも関わる問題で、これからの世代にも関わる問題で、それを自分たちが作っていかなきゃいけないんだ、という感覚が共有されてないと感じます。それは昔のわたしでもあると思うんですが。
裁判って公開のはずなのに、すごく閉鎖的なんですよね。どんどん「被害者と加害者」だけの問題になっていって、周囲の人は思考のプロセスを裁判所や大学組織に委ねてしまって、その結果だけをみて、割と好き勝手なことを言う。周囲が距離を置いてしまうから、セクハラだったら被害当事者や、動物問題だったらヴィーガン・ベジタリアンだけが詳しくなり、その他の人との溝が大きくなってしまっていると感じます。
——わたしもセクシャルハラスメントの被害者支援をしていて、女性問題とかセクハラ被害者が何を感じるか、といった知識がどんどん深まっていって、被支援者とも「わたしたちばっかり知識が増えて賢くなって・・・」と話すのですが、その他の人たちとの距離がどんどん離れていき孤立感があります。
同時に、「わたしレナさんの横にいて普通にお肉食べてるな」とか「これって同じことじゃないか」みたいにも感じます。レナさんにとって支援者でありつつも肉を食べているわたしは、信頼おけない存在になり得るなということも考えています。ハラスメントの問題も動物の問題も、同様の構造——強いものが弱いものをいじめるという構造があって、生活の面から変えていく重要性のようなものを日々感じているところです。でも実際、すぐにヴィーガンになれるわけでもなく、悩みながら生活しています。
異なる運動を実践していくなかでみえてきたもの
——動物運動に限らず、異なる運動をみなさん実践していると思うんですが、そこで見えてきたことを教えていただけますか?
栗田 のっけから爆弾発言ですが、わたしは実は支援が苦手なんです。当事者サイドで運動を続けてきた。というか、あえて続けようと思った。それにはいくつか理由があって、一つは、野宿者の現場に行ったらセクハラを受けて、野宿者の支援してるどころじゃないじゃんという経験をしたのが一つ。それと、やっぱり支援するのって体力がいる。自分がまず倒れちゃうなと感じることも結構あった。
「自分のことは置いておいて・・・」とすることは、正直じゃないと思ったんですよね。自分の非正規労働の問題や、セクハラ受けている事実を見ないで、野宿の人と関わるのは、わたしには無理だな、と思った。なるべく自分は当事者の立場からやろう、と。まず自分のことをちゃんと見なければ何にも言えないな、とか、そんないい人じゃないなわたしは、というのがずっとあったんですね。
ただやっぱり、社会運動のなかのハラスメントというものがわたしにとってはものすごく大きな節目になったと思うんです。さっき生田さんが言ってたけど、『フリーターズフリー』で動物のことをやろうとしたときに、わたしが「ダメだ」と言ったのは、当時2010年くらいは正直、女性の問題——女性の状況とか派遣の状況とか——が全然解決してなかったので、すっと動物問題にはいけないな、という感覚を抱いたんですね。余談ですが、派遣労働は最近変わってきて、昔は交通費なんか全然くれなかったのに最近は出るようになったりと、派遣労働はちょっとばかりはよくなっているのが現状なので、あのとき派遣運動を踏ん張ってやってよかったというのはあるんだけど、だからこそ、わたしは当時、動物の方にすっとはいけなかったんですよ。
だけど、運動内のハラスメントや、カトリック教会内のハラスメントにぶつかったとき、わたしは今度はともすれば傍観者になりうるということを経験するわけですよね。特にカトリック教会って大きいから、教会のハラスメントには加担はしなくても傍観者になることはいくらでも可能で、「これはいかんな」とまず思ったというのは、わたしが当事者ではない運動をしようと思った大きなきっかけになっていきました。
あとで話す特権性・加害者性にもつながるんですけれども、そうなってくると、自分がいわゆる当事者、被害を受ける立場という以外の視点を持たざるをえなくなってくる。ただ、そういう視点を持つにはプロセスを踏まないとダメだと思っていて、自分が酷い目にあったという事実をそのときに受け入れることができなければ、暴力に加担したり、場合によっては加害者になった自分を受け入れることもできないんじゃないかな、という感覚がわたしの中にはあった。人によってはわたしみたいに十何年も掛からなくてもすっと視点が移行できる人もいると思うんですけど、他の問題を見る視点みたいなものを養うプロセスというのはいる。それは誰かが教えるというよりも、わたしの場合はできごとを通して学ばざるを得なかった。それが、今は動物のことを学ぼうかなというふうに至ったので、プロセスを飛ばさないということがまず大事だったな、と思います。
生田 僕は21歳の頃から、釜ヶ崎で日雇いや野宿の人の支援をやっていて、支援者なんですが、その頃言われたのが、釜ヶ崎って日本の矛盾を集中して受けている、ということでした。労働とか、福祉とか。実際、当時、ぐるっと回って30分の釜ヶ崎で1年間に300人路上死していたんですね。凍死・餓死・病死などで。とんでもないことだけど世の中から無視されている。社会の差別ってひどいな、ってことなんですよ。野宿して、路上死して、なおかつ襲撃もされているわけですから。
運動の中には、一般社会というのは抑圧者であり、日雇いや野宿の人たちは被抑圧者で、被抑圧者の立場から世の中を変えていくべきだ、というのはあるわけですね。それは当然なんですが、長くやっていると、だんだんそんな単純な話じゃないな、ということになってくる。まず、野宿の中に女性は出てくるし、子供も出てくる。障害者もいるし、セクシャル・マイノリティの人もいる。そのなかで男性の野宿者が女性の支援者に性的加害するということもあるし、支援者の男性が支援者の女性に加害することもあるので決して一方通行ではないんですよね。
当時の野宿者ってほとんど50代の男性なんですけど、その世代の人って基本的に結婚してるはずなんですよ。それである時ふと考えたのは、「この人たちの妻子ってどうしてるのかな」と思いましたね。もしかしたらシングルマザーの家庭をやっていて、野宿の人たちも大変なんだけど、結婚してた妻子もすごく苦労してるんじゃないかとか考えて、そういう意味で野宿問題全般を見る目もだんだん変わってきたところがあります。
あと、僕自身もそうだけど、支援の女性に対して補助的な役割を期待するというのは根深くて、最終的に大きかったのは、1990年に沖縄に対する不当な扱いと、女性に対する差別問題があって、みんなでかなり話し合ったんだけど、自分たちのやっていることはなんなんだろう、と。つまり、沖縄とか女性に対する差別は放置しておきながら「釜ヶ崎解放」といっても、それでは全然信用されないんじゃないか、と当たり前のことにあらためて気づいた。運動というのは、基本的にいろんな立場の人が集まってやるものだから、それぞれの立場を学んで自分を変えていかないとやっていけないんだと思った、というのが大きな経験ですね。
それも一回だけじゃなくて、わかったと思っても、違う場面に立つと改めて自分のダメさが出てくるというのはずっと続いていて、常に常に検証していかないといけないということだと思うんです。人間だからみんな失敗はするんですよ。問題は、開き直っちゃったり、自分をあんまり問わずに「ごめんなさい」ってひたすら謝るだけ、というのがよくある二極分化なんだけど、そうじゃなくて、相手の言うことを受け止めて、なおかつ自分をどう変えていくかという、あたりまえのことを延々と続けていかないといけない、というのがあるんだと思います。
栗田 生田さん、沖縄の問題と女性の問題が出たあと、しばらく運動を休んでいたこともあるんですよね。
生田 そうですね。ちょっと参っちゃってやめてましたね。あのときは無理でしたね。
栗田 5年くらいやめていたんでしょ?
生田 ひたすら日雇い労働やってました。
一方で、いろんな立場の人が自分たち自身で集まってそれぞれを問う、という動きが出てきたと思うんです。13年前に「学校で教えたい授業」をして、セクシャルマイノリティ・不登校・ひきこもり・精神障害・貧困・野宿などの当事者・支援者が学校で授業をやるという企画をやったんだけど、今年も同じように各分野(「貧困と生活保護」「不登校・不登校その後」「ジェンダーと社会」「外国ルーツ第2世代の葛藤と希望」「人間と動物の関係」)の人が集まって討議しながら問題をどう伝えていくかということをやっています。これはめちゃくちゃ大変で、今もその書籍版を作っていて、意見のやりとりをしているところなんです。当然ながらすごく慎重になるし、相手の意見を受け入れて、なおかつ批判もするというのは、やりがいはあるけど大変なので、これを一回やったら数年間は休まないといけないな、という感じです。
ポジショナリティを自覚する
——レナさんはどうですか?
深沢 これは自分の意識の問題ですが、運動において、自分がどのポジションにいるのかという、その立ち位置をすごく自覚的に考えるようになりました。この前、栗田さんもきてくれた、「環状島」についての座談会の際に学んでから、特に意識的に考えるようになったんですけど、自分の置かれたポジションが違うと、運動をしているときの重圧や苦しさが全然違うのを体感します。
ハラスメントの方だと、一つ書面を読むだけでも、モラハラなりセクハラなりの記事読むだけでも、その記述を読むだけで、わたしの被害を追体験しちゃうんです。心を削り取られる。でも、動物の方は、アンチはいっぱいいますけど、それでも、わたし自身は被害者ではないから、その苦しさは全然違う。ハラスメントだと二次加害うけると、いまだに「わたしが悪かったのかな・・・」とか落ち込んじゃうんですけど、動物の方では運動をしてて「わたしが悪かったかも」とはまったく思わない。そこは全然違う。
これはさっきの栗田さんのプロセスの話と繋がるかと思うんですけど、わたしは自分がやった最初の運動というのが、わたし自身が被害者の立場に立ったことで、「ああ、このポジションで声を発することって、こんなに大変なんだ」ということを知れたことはよかったなと思ってる。被害者本人は、あらゆる重力を受けていて、声を上げるだけで必死なので、どんだけ声を荒げてもいいと思ってる。そういうのに対して、それまでのわたしみたいに傍観者的な価値観しかもってなかったら、確実に被害者に対してトーンポリシングをしてしまったと思うんですよね。「もっと丁寧に語りましょう」とか「対話が大事ですよ」みたいなことを言ってたと思うんですけど、そういうことを今血を流している人間に言ってしまうということは、安全圏に立って自分の命を削ってない人のきれいごとだというのを痛感したから、当事者の人にそういうことは絶対にいってはいけないということを最初に学べたことはよかったと思っています。
一方で、被害者のときの、必死に声をあげているときの語りのテンションを、他のポジションの運動のときにやっちゃいけないと思っていて、動物の方では、わたしは被害者ではないから、なるべく声を荒げないように気をつけてます。今、苦しんでいるのは動物だから、ちょっと不愉快なことがあったり、不愉快なこといわれたりしても、それに言い返して、そこに労力を使うことが動物のためになるかどうか、と戦略的に考えます。ハラスメントの方だと、生き延びた軌跡を残すことだけで必死なんですけど、動物の運動だと「これは効果的か?」と考えながら行動してるような気もします。
だから運動の中で、当事者じゃない人たちが、「こんなのも知らないのか」といってマウントをとりあったり、相手を黙らせようとする論法が、特にネット上では最近よくあったりしますけど、運動の外の人を排除する語りが多いなということは危惧しています。それは運動を広めることより、自分のスッキリ感や優越感を得ることを優先しているんじゃないか、運動というものを自分のなんらかのニーズの代償行為として使っているんじゃないかな、と心配に思ったりしています。
→④運動の燃え尽き(バーンアウト)の原因、運動とお金
(構成:深沢レナ)