龍緣之(モナ)さんインタビュー②国を超えてつながるヴィーガニズムと#MeTooと
*①の続きです。
わたしたちのセクシュアル・ハラスメント被害とその告発——目の前の被害者を助けないフェミニズム研究者たち
——モナが学生時代に受けたセクシュアル・ハラスメントの被害について質問してもいいですか?
もちろん。わたしはFacebookに告発文を公開しているので、誰でも読むことができます。
★日本語訳がこちらから読めます
——モナは被害を告発したにもかかわらず、メディアは取材にきたり、サポートしてくれなかったと言ってましたね。
台湾のメディアを責めるつもりはありません。というのも、セクハラ加害者であるわたしの指導教員は北京にいて、台湾の人々は彼をほとんど知りません。なのでわたしが言ったのは中国のメディアのことです。
わたしの話はすぐに共有されました。誰のおかげかは分かりませんが、広く拡散されました。しかし、中国のインターネットではわたしの文章はBanされ、約2日後には削除されました。こういったことは中国ではよくあることではないかと思います。
でも、指導教授は中国で最も有名なフェミニストの一人だったので、わたしの話はみんな知っていると思います。彼はわたしの在籍していた大学では非常に権威があり、大学だけでなく中国全体で著名なフェミニストの学者でした。
——ひどいですね。でも、そうした状況は容易に想像できます。わたしも大学院時代にセクシュアル・ハラスメントを受けました。加害者は有名な文学評論家でフェミニストではなかったのですが、事件の直後に相談した教授はフェミニストだったのにもかかわらず、わたしに二次加害を行いました。わたしの在籍していた大学院にはフェミニストがたくさんいたけれど、彼らはフェミニズム研究に打ち込む一方、現実にはセクシュアル・ハラスメントの被害者を支援しないんです。
ひどい学者たち。
——ね。だからわたしはフェミニズムの研究者をあまり信じてません。
その気持ちはわかります。わたしの指導教員は、フェミニズムに関してたくさんのインタビューを受けていますし、彼のゼミ生の多くが卒業後に教授になってフェミニズムについて研究していますが、誰もわたしを支援してくれませんでした。
——矛盾してますよね。ヴィーガンの友人たちはサポートしてくれましたか?
友人たちは皆わたしを支持してくれました。Facebookに記事を書く前に、大学のクラスメートを含む多くの友人たちに既に話していました。台湾に戻った後にこの話を完全に公開したのですが、すべての友人たちが異なる方法でわたしを支援してくれました。
——つまり、彼らがフェミニストであると言わなくても、実際にはあなたを支持しているということですね。それが真の意味でのフェミニストだと思います。
台湾では「フェミニズム」という言葉は一般的ですか?
フェミニズム運動は非常にパワフルだと思いますが、わたしの友人には自分をフェミニストと呼ぶ人はあまりいません。
——女性や動物に対する暴力がつながっていると感じますか? 例えば、ヴィーガニズムとフェミニズムは異なる考え方だと考える人もいますが、わたしにとっては両者は似たものに見えます。「誰かを粗末に扱っていい」「誰かの尊厳を蔑ろにしていい」という考え方が暴力につながっているとすれば、女性への暴力に限らず、動物、子ども、セクシャル・マイノリティ、障がい者などに対しても同じだとわたしは考えています。
わたしもそう思います。でも、台湾の男性活動家はそのことを理解していないことが多いと思います。わたしは「Animal Peptalk」というプラットフォームを持っているのですが、このプラットフォームを一緒に作った二人の男性の友人はヴィーガンの活動家ですが、フェミニズムにはあまり興味がなく、フェミニズムを用いるのは間違った戦略だと思っているふしがあります。女性や非男性の活動家たちの多くは、フェミニズムとビーガニズムのつながりを理解していますが、若い男性たちは理解していない人が多いと思います。わたしは彼らが理解することを期待していませんが、教育が徐々に影響を与えていくべきだと思います。
異なる問題を組み合わせた活動のあり方について
——先日わたしたちが街を歩いていたとき、障害のある猫を世話しているヘアサロンを見ましたね。台湾では、こういった動物保護のあり方が日常の生活に組み込まれているように感じました。
台湾ではこういったお店やビジネスはますます増えてきていると思います。例えば、いくつかのコーヒーショップやレストランは、飼い主のいない動物の支援のために運営されていて、客はそこで食事をしたりコーヒーを飲んだりしながら、猫や犬と触れ合うことができます。台湾の都市部にはそのようなお店がいくつかあって、わたしはまだ行けていないのですが、学生たちがその調査をしてくれたので、彼らのレポートを読みました。とても上手に運営されていると思います。
台湾では異なる問題を組み合わせるのがとても一般的だと思います。おととい一緒に食事をしたジョーソンを覚えていますか? わたしは彼のワークショップで彼と出会ったのですが、そのワークショップは台湾動物平等促進会の主催で、シングルペアレントの家族には無料で提供されていました。講師たちは動物について話しましたが、みんなで一緒に絵を描くような活動もありました。
——モナが教えてくれたHIPPUNというヴィーガンのパン屋さんでは、ホームレスの人を含め、誰にでも無償でパンを提供している日があるそうですね。また、モナはニューヨークにいったときに、「ダンプスターダイビング」にも参加したと言ってましたね。
「Freegan 101」というイベントに参加しました。そのイベントは、ダンプスターダイビングの経験がない人たちのために毎月一回開催されていて、ストリートで食べ物を見つける方法を教えてくれます。主催者たちは、20年以上このようなイベントを開催しており、他のフリーガンイベントもメディア向けに行っています。このイベントは資本主義や消費主義に対抗するための活動の一環なんです。
わたしが参加したときは、夜9時にあつまり、15〜20人が参加しました。食べ物やまだ使えるものを見つける方法を知っている人もいれば、わたしのようにまったく知らない人もおり、それらを見つけられるベーカリーやスーパー、寮などを教えてもらいました。ニューヨーク大学の寮前には大量の寿司が捨てられていましたし、街中やゴミ箱に様々な食品があり、ベーグルやパンもたくさん見つけることができました。主催者は街のホームレスの人たちに挨拶し、食べ物を分けていました。
——フリーガンの人たちはみんなヴィーガンなのですか?
全員がヴィーガンだったわけではありませんが、一定数の人がプラントベースの食事を選んでいました。
——台湾でもダンプスターダイビングを試してみたいですか? 気温や湿度の問題で難しいかな。
台湾ではあまり食品を無駄にすることがないと思います。わたし自身はパン屋やレストランで働いたことはないですが、大量の食品が屋外に捨てられているのを見たことはありません。ニューヨークでは、街中にゴミ箱を置いているので、ダンプスターダイビングが簡単なんです。
活動を続けるためのコツ
——長い間活動してきたモナにとって、活動を続けるためのコツは何ですか?
まずは、自分を知ることが重要だと思います。自分の性格というのは最も大切な要素です。例えば、わたしは外向的なので、自分の感情や考えを隠さないし、ポジティブな人間なので、物事を前向きに行うべきだと考えています。また、自分が得意なことや苦手なことを理解することも重要です。例えば、もしわたしが動物福祉団体のスタッフだったら、その仕事はわたしには向いていないかもしれません。動物福祉の改善や産業について科学者とともに働くことには興味がないんです。一方で、文学や芸術が好きなので、同じ価値観を持つ友人と働きたいと思います。例えば、イラストレーターのノアノアだったり、俳優と協力することもあるかもしれません。
次に、良い友人を見つけることもとても重要です。友人が過度なプレッシャーをかけてきたり、過度に批判してきたりすると嫌な気持ちになるので、わたしは友人を選ぶ際は慎重になります。これは警戒しすぎに聞こえるかもしれないけれど、重要なことです。例えば、わたしがセクシュアル・ハラスメントに直面したとき、友人や家族、クラスメートの中には「そんな出来事は忘れるべきだ」とか「あなたに原因がある」と言ってくる人もいました。そういった反応をされれば、さらにプレッシャーになるし、自分自身を疑う原因になります。だから、悪い関係は避け、同じ価値観を共有する友人とだけ関わるようにしています。
また、わたしは常に動物や芸術からエネルギーをもらっています。動物問題だけに集中していたら、すぐに燃え尽きてしまうでしょう。動物の状況は非常に深刻ですが、わたしは自分の猫たちの世話をし、動物や生活の美しい側面を見つけたいと思っています。映画にもよく行き、芸術や映画から多くを学んでいます。それらがわたしにエネルギーを与えてくれますし、多くの人が動物に関心を持ち、前向きに生きていることを信じることができます。
だから、良い友人を得て、生活の中で美を楽しむことは非常に重要だと思います。
——そうですね。わたしは日本では、動物問題と芸術の両方に関わる人がとても少ないと感じていて、動物の問題を芸術や文学を含めて、もっと広く考えることが重要だと思っています。なのでモナのように映画や文学も愛する活動家に出会えて嬉しいです。
最後の質問です。あなたにとって「書く」ということは?
書くことは、わたしにとってとても大切で、話すことと同じくらい自然なことです。12歳のときは、授業でよく作文を書くように求められましたが、先生が決めたお題に従って書くのは難しく、うまく書くことができませんでした。でも、わたしには常に書きたいことがあり、若い頃から詩や記事を新聞に投稿していました。授業ではうまく先生の言うことに従うことができませんでしたが、書くことは自然にできました。
若い頃は、自分が作家や研究者になるとは考えられませんでしたし、そうなるように励まされたこともありませんでした。でも、高校や大学で学んでいるときに、「あなたには言いたいことがあるのだから、記事を書いてみてはどう? 新聞や編集者につなぐ手助けをするよ」と言ってもらえたので、動物問題やジェンダーの問題について新聞や雑誌に記事を書き始めました。博士号を取得した後は、いつか本を出版できたらいいなと思っていましたが、自信がなくて準備が整っていないと感じており、50歳や60歳になればできるかもしれないと考えていました。だからその時は編集者や出版社に自分を売り込んだりしなかったのでしたが、出版社の編集長である詩人がわたしを見出してくれました。彼はフェミニストでも動物保護活動家でもありませんが、わたしの書くトピックが特別であると感じ、「本を書いてみませんか?」と声をかけてくれました。わたしは「準備ができていません」と言ったのですが、「はい」と答え、2年間かけて本を書きました。それが始まりです。
——わたしたちは一人でずっと書き続けることはできず、編集者やわたしたちの書いたものを読んでくれる人々など、サポートしてくれる人の存在も不可欠ですよね。お互いに支え合いましょう。
もちろんです!