うつ病、パニック障害と診断され 再び休職することになりました。 毎日のどが詰まる感じで息苦しく、声もだせない。 息が吸えない。 手が動かない、体が痛い、何をしたらいいのかもわからない。 体が震えて目の前に霧がかかったような感覚がありました。 相変わらず体の痛みはあり、痛みの病院にもいかなければならないが 電車に乗ることもできず、娘やパートナーに送迎をしてもらいました。 会社を休んでいても日曜日の夜になるとソワソワした感覚がありました。 不安でたまらない。 仕事ができな
2021年 GWに痛みで動けず家にこもり、 GW後は相変わらずつらい状態でも 仕事に毎日追われ、休むとか弱音を吐く余裕もなく 毎日必死に仕事をこなすことを目標としていました。 だんだん普通にできていたことができなくなる感じ とくに今までしたことのない大きな間違いを連発し あちこちに迷惑をかけ、落ち込み これはなにか体だけではなく、頭(脳)がどうにも限界に 近づいている気がしてきました。 もう病院に行かないとだめかもしれない。 予約の電話をしたけれど、すぐには予約が取れず
2021年2月末から全身痛がひどく、動けず、トイレにも行けず 膀胱炎になってしまいました。 全身の骨がきしむような痛みに加え、膀胱炎の痛みはまたかなり体と心へのダメージとなりました。 息をするたびに肋骨が動くとミシミシと音を立てるように痛みを感じますが 無理をすれば動けてしまう。 限界を超えていると自分で感じていても、無理をすれば動けるから みんな仕事で疲れているのは同じ。私も頑張らなければ。 みんな無理しているのは一緒なんだから私だけ弱音を吐くわけにはいかないと思っていま
前回の投稿からだいぶ間が空いてしまいました。 続きを書き綴っていきたいと思います。 引っ越しをし、娘と同居する生活に戻り お弁当を作ってくれるようになり、食生活はだいぶ楽になりました。 でも洗濯しないし、掃除もしないので、それは私の担当と自然に家事分担。 引っ越しの片付けは友達に手伝ってもらったりして、スムーズにすすみ、この年末年始は嘘のように体が軽くなり、ついに治ったのではないか??と思うほどでした。 年が明け 娘が成人式の予定でしたが、コロナ禍で何もイベントごとはなく
クリスマスが終わるといよいよ お正月の準備ですね 今年は何もしません もう準備をする体力もないし、 お友達に会ったりするだけで 体力を使い果たすでしょう。 大晦日、元旦は寝て過ごします。 少し元気になると、元に戻った気がして 動きすぎてしまいますが 反動が大きいです。 控えめに控えめに行動しないと 翌日の痛みが増してしまうので そろりーそろりーと生活します。 実家に帰ると心が壊されるので この家で娘と2人、特に会話もなく、お互いに自由に過ごします。 ここに至
コロナ禍になって3回目 病気になって3回目のクリスマス🎄 うかれて、ご馳走食べるのがクリスマスがあたりまえでしたが 今年は念願のクリスマスミサに預かることができ、心穏やかに過ごすことができました 病気になってからは 精神的にジェットコースターみたいに上がったり下がったりクルクルしたり 救いを求めたのは、学校で学んだカトリックでした。 当時は窮屈でしかなかったのに。 祈ってざわつく心を抑えたいと願って教会へいくようになりました。 病人に心の拠り所は必要です。 家族が支え
2020年8月に線維筋痛症と診断され、痛みで思うように働けなくなってしまいました。 奇跡的に発症してからわずか半年で専門医にたどりつき、先生も驚いていました。 「早く適切な治療をすれば治るよ!」に少し希望をもっていましたが わたしもいつ治るのかわからず、不安もあり、痛みで生きていくことがつらいと思うようになっていました。 痛くて泣くばかり。 会社にもやっとはいつくばってたどり着き、でも行ってしまうと恐ろしい量の仕事をこなさなければならず、仕事をしている間は勢いでこなしていま
急激な気圧変化があると 会社へ行きたくても全身痛くて力が入らなくて、金縛りになったみたいになります。 休みますのメールをうつのも大変。 手指の感覚がなくて、フリック入力もできない。 頭も痛くて、目も開けられないくらいなので、朦朧としながら、メールを打ち、また意識を失う。 こんな急降下の日はダメな日です。
前回のいたみのはじまりのつづき 初診でかかったかかりつけ医にいる整形外科医の知識と医者の勘?のおかげで痛みが出てから3か月で大学病院へ紹介状を書いてもらうことになりまhした。 まずは、いろんな病気を否定しなければ線維筋痛症の診断とならないから。 千駄木にある医大の総合診療科とリウマチ科で検査、診察。 リウマチの疑いはないため、リウマチ科より線維筋痛症が診れる病院への紹介状を書いてもらいました。 このころには痛みがかなりひどく、日常生活もかなり不便になり、当時はエレベー
2020年3月23日 コロナがはやり始めたころ。3月20日の春分の日を含めた3連休あけ、 突然腕が動かなくなりました。 朝着替えをしようとしたら、腕があがらない。 ひどい筋肉痛のような痛み。 前日までの3連休、千葉にパートナーと小旅行しました。 その直前に客から人格否定をされるほどの恫喝、値引き強要の恐喝をされ、疲弊していました。小旅行を楽しみにがんばっていたのですが、めずらしく気が乗らなくて、でも連れて行ってもらって海をみたら来てよかった!と楽しめました。 そんなリ
東京のはずれ生まれの東京の田舎育ち、23区のはずれ住まいのアラフィフ 【昭和だったころ】こどものころから母は厳しく、父は仕事熱心で深夜まで仕事が当たり前。 小学校から私立に通い、厳しくしつけられてきましたがどうしてもその環境になじむことがつらかった。 ただ母に怒られることがいやだったからいうこと聞くしか自分を守る方法が その時には考え付かなかった。 母に怒られないようにすることだけが私の物事の選択基準。 いい点を取らなければがっかりさせてしまう。でも勉強が好きなわけじゃない。