自己紹介
東京のはずれ生まれの東京の田舎育ち、23区のはずれ住まいのアラフィフ
【昭和だったころ】こどものころから母は厳しく、父は仕事熱心で深夜まで仕事が当たり前。
小学校から私立に通い、厳しくしつけられてきましたがどうしてもその環境になじむことがつらかった。
ただ母に怒られることがいやだったからいうこと聞くしか自分を守る方法が
その時には考え付かなかった。
母に怒られないようにすることだけが私の物事の選択基準。
いい点を取らなければがっかりさせてしまう。でも勉強が好きなわけじゃない。目的がわからなかった。この人のために勉強する意味がわからない。
そう感じてしまってからは一気にやる気が下がっていった。
【平成になって数年後】なんとか高校を卒業し、少し自由になった大学生の時にさんざん反発した。
【21世紀になったころ】就職してすぐに付き合った人とデキ婚した。
とにかくあの家から逃げたかったから。10個年上の上司だった。
その時は優しかった。でもこの人もサイコパスだった。
キレるスイッチがどこにあるかわからない人だった。
暴力、暴言、無視、金の無駄遣いすべていやがらせ。
私が困っているのを見るのがとても楽しそうだった。
こどもには優しいように見えたが
でも子供の目の前で私をののしるのはすごく嫌だった。
でも私が耐えればと思っていたら、
当時8歳の娘から、この家から逃げたいと言われた。
夜中に子供部屋に入り叩いたりして起こすのだと。
怖い。これまでも、お稽古事があるのに無理やり休まされて近所のショッピングモールに連れていかれたり、自転車に乗って公園に行く途中
信号待ちをしているときにわざと蹴飛ばされて道路に倒されたりしたと
その時聞いて本当に恐ろしくなった。
命の危機を感じた。
すぐに家出の準備をした。
この時ばかりは実家を頼らざるをえない。
荷物を気づかれぬよう少しずつ実家に移し、
新しい避難場所を探し、小さなアパートに引っ越し逃げた。
その直後に調停の呼び出しの通知が行くように
そのタイミングを見計らって元の家から逃げた。
半年かけての離婚調停で今後子供との面会なし、接近禁止、養育費の金額を決め、離婚できた。
少し落ち着いて暮らせると安心した。
これが2010年。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?