【創作・怖い話】朧車(おぼろぐるま)
★この話はフィクションであり、実在の人物・出来事・事件とは関係ありません
類似した事象・記事・インタビューなどがあったとしても、すべて偶然の一致です
出張で別の地域に行くことが年に数回あって、その時に聞いた話である。
場所や時期、私や先方の職業、「この話を聞いたシチュエーション」は、諸事情により伏せる。
「オバケを見てワル辞めた、なんてのは、なかなか珍しいやろなぁ」
菊田さんは言葉を濁したものの、話の端々からいわゆる「半グレ」のようなものだったことが想像できた。
地元では色々やったわな──としみじみ呟く。
「敵対しとるグループがおってやね」
と菊田さんは関西なまりで語る。
「小さくやっとりゃえぇのに、こっちの地域にまで手ぇ広げようとしよってな。アホやろ? それでまぁアレよ、潰すことにしたわけやね」
菊田さん側のグループのバックには「プロの人たち」がついていたので、抗争どころかケンカにもならなかった。
一方的になぶる。
どうやったかと言うと、車でさらう。
「ヤサ(アジト・住まい)はわからんでも、面は割れとるからね。バンとかワゴン車に3、4人乗って街ン中を流して。外ぉジィーッと眺めて、おったぞ、つったら脇につけて降りて押し込む」
菊田さんは、ぱん、と手を叩いた。
「一瞬よ」
初日で6人「潰した」という。
「いや、潰した言うてもね、車ん中で叱ったり、脅したりしただけよ? 勘違いせんでね?」
あははは、と菊田さんは歯を見せて笑った。
通報はされなかった。
「一瞬の仕事やし、一般の人からしたらチンピラのケンカに関わるのもイヤやろからね。警察かていちいち動かんよ。
あっ。でも一回ガラさらうの動画で撮られて、ネットに上げられたかな……探せばどっかにあるんちゃう?」
向こうは悪でこっちは正義、というような気持ちがあったし、完全に勝ち馬に乗っている。
躊躇は微塵もない。
2日目からは情報が出回ったのか、相手グループのメンバーの姿は減った。
しかし、
「メシは喰わなアカンからねぇ。あとタバコと酒。だからコンビニのあたりを重点的に回るわけよ」
菊田さんは混ぜるように指をくるくる回す。
「そうすると、下っ端丸出しのヤツがゴッソリいろいろ買うとるわけ。そいつを尾行けると、お魚が釣れるわけやね」
毎日毎日、浮かされたように車で街を流した。目を皿のようにして相手グループのメンバーを探す。
ゲームみたいで面白かった、と菊田さんは言う。
ある日の夜のことである。
その頃には菊田さんらの襲撃の話は知れ渡っていたため、敵や関係者はなかなか見つからない。
菊田さんたちは走るワゴン車の中でイライラしつつ、見逃さないように目をぎょろつかせていた。
5時間ばかり流してひとりも発見できず、深夜2時を回り、
「なんや今日はおらんな」
「おもんないわ」
「クッソ、ムカつくなアイツら」
「見つけたらヒモつけて引きずったろか」
と車内の空気も殺伐としてきた頃、
「あっ、ほらアレ」と指をさす者がいた。「初日に潰したやつと違うか?」
菊田さんたちは窓外を見た。
確かに初日に車に押し込んで「脅しつけた」奴だった。
ジャージ姿で足をひきずり、顔には絆創膏、目の上にガーゼ、包帯を巻いた手にコンビニ袋を下げている。
あの男が車内でひぃひぃと怯えきっていた様子が思い出される。
アイツのビビりかた面白かったよな。泣いてヨダレ垂らしてな。ウケたわぁアレ。
「アイツ、一回やられたからさ、もうやられんやろ思うて歩いとんのかな?」
「あ~なるほどな。せやったら……もっかいやっとくか?」
車内は笑いに包まれた。
そうやそうや、安心しとる奴にもっかいカマしたら、サイコーに面白いで、とみんなで目を細めた。
ちょうど寂しい道にさしかかっていた。
深夜だから人の気配はない。
ライトを消して、背後から近づいていく。
後方20メートルくらいで車を止めて、音もなく降りて、すっと近寄っていく。
向こうが気づいて振り向いた瞬間に菊田さんは駆け出して、首に肩を回した。
「よーぅ、久しぶりやん」
「なっ、なんですかァ」腕の下で相手の体が震えていた。「オレこないだ、わかりましたて言いましたよ。なんですかァ」
遅れてきたふたりも男を挟む。奇遇やなぁ、また会ってしもうたなぁ、などとニヤつきながら言う。
「ほなら、また乗ろか」
「えっ」
「一回やられたから大丈夫や、ってことにはならんのよ。わかる?」
菊田さんは押し出して、ふたりに男を渡す。
先日の恐怖がまだ残っている男は身を縮めて抵抗すらしなかった。「やめてください」「許してください」と呟くばかりだ。
その怯え方がおかしくて、菊田さん三人はゲラゲラ笑った。
「自分おもろいなぁ、まぁ詳しい話は車ン中でな。ほら、ワゴン車待たせてあんねん」
と言いながら菊田さんはそっちに目をやった。
「……えっ」
ワゴン車はUターンしてバックして、こちらに尻を向けて停車している。
中古車な上に連日の拉致のせいか横のドアの調子が悪く、今度誰かを見つけたら後ろから乗せよう、との話になっていた。
その、ワゴン車の後部。
スモークの貼られた窓いっぱいに、大きな人の顔があった。
細くて神経質そうな眉に、大きく見開かれてぎょろついた目と、鼻の根元あたりが見える。
そこから下はドアに隠れて見えない。
ワゴンの車内から、巨大な顔がこちらを見つめているのだった。
呆然とする菊田さんを尻目に、仲間ふたりが男をひきずっていく。
「えっ? いや、あの、ちょっと待って?」
菊田さんは動けないまま言った。
「あれ、車さ。ちょっとおかしない?」
ふたりはちら、と振り返った。
「なにがぁ? なんもおかしないよ」
「どうしたんキクちゃん、はよ行こうや」
と言う。
ふたりにも、連れていかれる男にも見えていないようだ。
しかし確かに、大きな顔がある。
眉の毛の一本一本、荒れ気味でボツボツした額の肌までくっきりわかる。毛穴まで見える。
なんや、なんやあれ。
幻覚?
まぁまぁ、もっぺん乗ろか、と先に行ったふたりがワゴンの後ろのドアを開けた。
重たいドアが上に開く。
幻覚だったらそれをきっかけに顔が消えるのでは、と菊田さんは頭の隅で考えていた。
顔は消えなかった。
それどころか、隠れて見えなかった鼻、頬、口、顎までがくっきりと現れた。
乾いた唇の両端が上がって、薄く黄ばんだ上の歯の先も見える。
笑っている、とわかった。
その大きな顔の前で、仲間ふたりと敵グループの男が揉み合っていた。
「ほらァ、乗ろ乗ろ」
「なんやもう、うっとおしいなぁお前」
「ホンマ勘弁してください。ホンマ許してください。許してください……」
腰が抜けたらしく、男は地べたに座り込んだ。
仲間ふたりは声を荒げた。
「あァ? なにしとんや」
「誰の許可もろて座っとんやコラァ」
右の奴が、座った男の脇腹を蹴った。
その瞬間。
ワゴンの中にあった顔が、ぷわッ、と前に飛び出てきた。
ふたりを巻き込むように通過してから、菊田さんの方に一気に飛んでくる。
避ける暇はなかった。
顔は菊田さんの目前で半透明になって、音もなく全身を抜けていった。
シャツの裾が、風に巻かれて上がった。
途端に鼻の奥に、ドブ川の底のような臭いが突き刺さった。あまりの臭いに目と喉もやられて、胃液がせり上がってきた。
「うッ……うえぇッ」
口を押さえて、チカチカする目をしばたかせながら前方を見ると、仲間ふたりも腰を曲げてゲェゲェとえづいている。
腰を抜かしている男は不思議そうにふたりと菊田さんを見やっていたが、チャンスと気づいて起き上がり、走って逃げてしまった。
運転手が降りてきて介抱してくれたものの、臭いは髪から服、靴下にまでへばりついていた。
車内でも、戻った溜まり場でも、リーダーに指示されて出向いたスーパー銭湯でも、周囲の人間は顔をしかめて菊田さんたち3人を見ていたという。
臭いは一週間ほどしつこく残ったので、その間は自宅にいるしかなかった。
服は捨てるしかなかったし、髪を洗っても容易には取れない。
部屋や私服や私物にまで臭いが移って、それが消えるのにはさらに数日を要した。
どうにか臭いが消えた頃に菊田さんは、リーダーの元へ行って脱会を申し入れた。
そういうグループは縛りがゆるいという。
おぉそうかぁ、キクちゃんオチツクんやなぁ、とだけ言われて、すんなり脱会は叶った。
「でっかい顔と臭いだけやったら、たぶん辞めんかったと思うわ。楽しかったからなぁ、あのチーム」
菊田さんは腕を組みながら言う。
「いや、辞めた直接の原因は、でっかい顔やねん。あれがものすごく、その、怖くてな……」
そんなに怖い顔だったんですか、と尋ねると首を横に振る。
「違うねん。鬼の顔やったとか、うらめしそうな顔やったから怖かったんとちゃうねん」
菊田さんは身を乗り出して、囁くように言った。
「あの顔な、俺の顔やってん」
毎日毎朝、鏡の中に見る、俺の顔やってん。
でも目ぇひん剥いてな、ぎらぎらしててな。
なんやろ。
絶対、俺の顔なのにな。
動物みたいやったんよ。
でな。
臭いのせいで、一週間くらい自分の家に籠ってると、思い返すやんか。どうしても。
それで、ふっと思いついてん。
あれ、人をさらっとる時の俺の顔なんやないか、って。
さらおうと目ぇ見開いて、見つけたら狂うたように喜んで、車ン中で人間をギチギチに絞り上げて、ニヤニヤ笑うとる。
そういう時の、俺の顔。
そう考えるとな、なんや自分が、ヒトやなくなってるみたいな気ぃになってきて。
どんどんバケモノに近づいていってるような気持ちになってな──
それで、チーム辞めて、地元やといろんなシガラミもあるから、こっちまで出てきたわけ。関西弁は全然抜けへんけどね。
地元におったらたぶん、ずるずるとあっちに引き戻されるからねェ。
「ま、こっちでやっとる仕事も、地元でやってたコトと変わらんかもなァ。いっぺん慣れてしもうたら、もう戻れん世界なんかもしれんわ」
菊田さんはまた、あははは、と笑った。
唇が上がって、ヤニで黄色くなった歯が覗いた。
この顔か、と思った。
【終】