自由とは不自由の先にあること
娘がnoteを始めまして。
そのせいで、あ、そういや私もやってたねーと思ったらすでに読まれてましてw(なんか変なもん書いてないか一瞬焦った)
とりあえず、下書きで放置されていた記事のリメイクから投稿を再開しようかと。
テーマはモノづくりワークショップや講座について
当時何を思って書いたか思い起こすと、ああ、多分今と同じことだなと思ったんで、そこを掘り起こすことにしてみたわけです。
講座にはディプロマコースというのが存在する
ディプロマというのは「認定」という事で、その講座を受けることによってある程度のレベルが保証されるというもの。
認定する団体や講師がカリキュラムを組んでいる。
これがアロマとかと、この1回目はこれを教えて、2回目はこれを教えて…全12回修了したらテストを受けて認定(テストがない場合もある)で終わる。
これがモノづくりになるとちょっと様子が異なる。
「見本と同じものを作る」
「ある程度基礎を教えたら、そのあとは自由な発想に任せて作る」
というパターンがある
一見自由が多いほうが楽しいように思える。
とてもキャッチーで親しみやすい
んがしかーし ここに罠が潜んでいる。
自由な発想が出来るのってある程度素地がある人なのだ。
自由って不自由な壁がそこに存在する
「さ、後は好きなようにデザインしていいのよ」
となるとね、え?どうすればいいの!?となる人が結構多い
素敵な講師見本を目の前にして悩んでしまう。
これと同じのが作りたいのに…
まぁそう伝えれば、大体の講師は「これはこうして作るのよ」と教えてくれるけどね
自由な発想に任せて作る場合のなら、そのヒントを至る所に散りばめておかないといけない。ちなみに私はフラワー関係のセンスが無いから、出来るなら見本を沢山おいてほしい。その中で自分の好きなものに近いのを作りたい。
あるアート系団体のワークショップでは一切見本を置かないという
本人の自由な発想に任せたいからそうだ
ある程度イメージが固まっている人ならともかく、そうでなければ固まってしまうよね。本人が。だって恐らく申し込んだ人はなんらかの画像を見て「こんな風なのを作りたい!」と思ってきているはず。でもそのイメージって実はかなりあやふやだから、その場で画材を目にすると途端にどうしたらいいのか分からなくなる。
確かに見本が一つなら、それに似たようなものがいくつも出来上がってしまうだろうけれど、種類を沢山おいて引き出せばいい。
そうでないならその受講生から「何か」を引き出せる技量が必要で、これが意外とハイレベルで、それが出来る講師はほんとすっばらしい。
だから気軽に出来る事を目指すワークショップや講座では真似でいいんじゃないかなーと思う。真似とはいえ、そのまんま出来上がる人もいれば、個性がにじみ出てきてしまう人もいる。小手先のバリエーションで十分なのだ。
とくに一回限りのワークショップではね。
世の中には絵を描きたいけど描けない
アートっぽいことがしたくても、上手く表現できない
そういう人は五万といる
かくいう私もそういった一人であるのは間違いない
それぞれの求める基準が違うだけ
それはさておき
じゃあそういった人はどうすればいいのか
経験を積むのが手っ取り早い
絵画鑑賞する 真似をする
なんでもいいから絵を描く とにかく手を動かす
そうすると自分の好きな手法が見つかってくる
でも最初からそれは無理
だってどうしたらいいのか分からないんだもんね
だから一番簡単な「真似る」から始める
ワークショップはあくまでも入り口
だからこの「真似る」が肝になる
一見窮屈に見えるけれど、これは本筋から言うと近道
不自由さを重ねていった先に 自由が見えてくるというお話。