ネオリベと私─質問箱への回答
この文章は以下の質問に対する回答になります。長すぎてヤバいのでこちらに書きましたが、長すぎたので2回に分けました。これはその前半です。
ルンむかは質問箱を常に募集中です。ルンむかに対する個人攻撃から火種になりそうなネタまでなんでも送ってください。雑語りと確かな誠意であなたの言葉に応答します。
ありがとうございます!!!ルンむかもそう思います!!!!ルンむかはすごすぎます!!!!ですが、ルンむかについても注意しなければならない点は沢山あります。例えばルンむかの隠ぺい体質が挙げられるでしょう。私は大変高い理想を掲げていますがそれに行動が伴っていると自信を持って言えるかというとそうではありません。そんな側面を隠すためにあんまり自分に都合がよくないことは普通に隠したりする癖があります。去年の秋にコロナにかかった時も今までさんざんコロナにかかった人を馬鹿にしてきたために「病に倒れた」みたいなことをサラッと言って終わりにした記憶があります(ここでも比較的罪の軽いことを例に挙げてほかの隠ぺいと称するものもたいがいこんな感じだろうと印象付けていることにも注意が必要です)。
ルンむかは別に言語化能力が高いほうではありませんし、思い込みや考えすぎなどに汚染されて物事に対する解像度も高くないです。おっしゃる通り本は少し読みますがそれも月に2冊読めば良いほうという感じで大した量を読んでいるわけではありません。それでも、「世の中に対する自分の漠然とした疑問にたいして割とはっきり答えを与えている人」みたいなのを探す能力はかなり培ってきたと思います。というか、本を書くような偉い人の言葉の中から勝手に「答えみたいなもの」を読み取る力というべきかもしれません。思い込み力です。あとは「人の受け売りを自分の考えのように話す」能力は高いと思います。子供のころからそういうマセガキでした。私は偉い人の言っていることが好きですが、きちんとそれを引用したり論証したりできるほどの技量がないので、そういう偉い人の考えをもとにしながら、自己流の乱暴な言葉に混ぜ込んで、普段のツイートを作っています。ですので、もしルンむかの言っていることに賛成してくれるのだとしたら(ありがたくもありますが心配でもあります)、そんな風にルンむかの受け売りをそのまま話せばよいと思います。ルンむかが家族や友人にも布教してもらいやすいアカウントならよかったんですが、そうではないですからね…。
そうやって自分の言葉に直してルンむかのツイートを誰かに話していく時には、ルンむかの文体や「怒り」による力(りき)みがノイズになる場合もあると思います。そこで、ルンむかがツイートのもとにしているいくつかの概念とそれに対するルンむかの理解を下にまとめておきました。本当に素人なので厳密性とかは勘弁してほしいんですが、私の思考はこれでたどれると思います。普段は複雑になることへの懸念やしっかり引用、論証するめんどくささではっきりと言及しないことをいくつかピックアップしたのでよければ参考にしてください。もちろんこれを読んでいる人で間違いを見つけた人や異論がある人は後学のためぜひルンむかに教えてください。
・フロイトとラカン
フロイトは精神疾患に対して今ほど薬物療法などが確立していなかった時代に「精神分析」という治療法を理論化することを試みた人物です。人の思考には無意識の領域があり、普段それを自覚することはないが、夢や言い間違い、ヒステリー症状などの形をとって時々現れると主張しました。人の意識がそのような特殊な構造になるのは、人があまりにも無力な状態でこの世に生まれて、生後何年もほとんどその生存を親や成育者に依存するため、その人たちとのやり取りが強力な原型となり、その後の人生に影響を及ぼすからだと考えました。人は自分でも知らないうちに様々なことを考えるが、「いけない考え」などは「抑圧」されて、本人も自覚しないということです。ですがいくら「抑圧」されていても、本人の言葉の綻びや行動の矛盾などによってこっそり表に出ていることがあります。ルンむかが「これって深層心理だろ」などと言って悪用しているのがこのような考え方です。ほかにも重要な概念として「トラウマ」や「反復強迫」などがあります。性犯罪の話題や「ダメだとわかっているのに悪い男のところへ行ってしまう」みたいな話題の時などに稀にこれらの概念を下敷きにしている時があります。
ラカンもまた「精神分析」の理論家の一人です。彼によると、私たちの生活は沢山の記号や法則に支えられて成り立っています。「お金はものと交換できる」とか「人を殺したら捕まる」とかいうものから「「犬」といったらあの四足歩行の可愛いやつを指す」とか「物を手放したら落ちる」とか「悪口を言ったら怒る」というようなものまでさまざまです。しかし、例えばお金の正体は紙切れやデータでしかありませんし、辞書になんの説明もなく掲載されている言葉が無いことからもわかる通り、すべての言葉の正体は、ほかの言葉の言い換えでしかありません。このように私たちが当然の現実として生きているこの世界は、一歩間違えれば滅茶苦茶になってしまう危ういバランスの上に成り立っています。ラカンに言わせれば、それを支えているのは幻想にほかなりません。お金が「信用」という幻想を用いてその価値を保ち、「言葉は現実の何かと等価である」という幻想を用いて私たちがコミュニケーションできるように、幻想こそが私たちの生活を支えているということです。本当は今から一秒後にこの世界がすべて爆発したっておかしくないのに、そうではない、今ある物理法則がこれからも続き、今と同じ生活が明日も続くと思えるのはそのような幻想あってのことだということです。このような幻想は私たちの欲望の世界にも存在します。私たちが何かを望むとき、本当はそれそのものを望んでいるわけではないということです。望みが叶っても満たされないという話は古今東西昔からあるお話の一つの形ですが、私たちはそんな風に「これさえ手に入れれば完全に満たされる」という幻想をなにかの内に見出して、それを欲望しています。しかしもちろん、それは幻想にすぎないので、それが手に入るころには別の何かが欲しくなるわけです。つまり、私たちは「欲望すること」そのものをこそ欲望していると言えるわけです。この考えもしょっちゅうルンむかは悪用しています。
・新自由主義(ネオリベラリズム、ネオリベ)
新自由主義は現代の経済状況や風潮を指す言葉としてよく使われます。私たちの労働環境は「ポストフォーディズム」的だとよく言われます。定時で働き、マニュアル通りの作業をしていれば豊かな生活が保障された「フォーディズム」の時代が終わり、24時間戦闘態勢で、見た目やコミュニケーションにも気を使い、マニュアルを超えた柔軟な対応をし、仕事が終われば資格勉強、投資、休日でも職場から要請があれば即対応、それが出来なければ即落ちこぼれ、貧しさや困窮は自己責任という世界が、この新自由主義社会です。しかし、本当のところ富は一部の資本家に集中しており、彼らは世代を超えて様々な資本を引き継いで有利に競争を勝ち抜いたり、競争にすら参加せずに豊かな生活を送っています。彼らは自分たちの有利な条件や既得の権益を守るために、ぬるま湯に浸りながら「自らの努力で勝ち取れ」とか「自己責任だ」という風潮を利用するのです。
近年日本はグローバル化や新興国の発展などの影響で少しずつ富を失いつつあります。コロナなどの追い打ちもあって大変厳しい状況です。そんななか富裕層は上記のような風潮を用いて、少しずつ貧しくなっていく日本で自分たちだけがこれからも同じ生活を維持していくために格差を拡大させていくのです。このような風潮は、金持ちの側だけでなく、私たちの中からも生まれます。私たち一人一人が自分だけでも今の生活を脱して金持ちのような生活をしたい、そのためには人を出し抜いてでも勝ち残っていかなければならない、という気持ちを持っているために、これらは歯止めの効かない風潮になっているのです。そしてそれは、企業や資本が私たちを労働と消費に駆り立てるために、あれもこれも欲しい、お金がたくさんあったら全部手に入るのに、と思わせていることに端を発しているわけです。そんなわけで私たちの目標は価値の転覆や資本家による搾取への抵抗という方向へ向かわずに、自分だけでも搾取する側に回ってFIREして、NISAやIDecoで老後の安心を得たいという方向へと向かっていくわけですね。
・ホモソーシャル、有害な男性性
ルンむかがよくホモソホモソと騒いでいるのはこのホモソーシャルの略語です。最近ではフェミニズムの問題はほとんど男性性の問題、すなわち「有害な男性性(Toxic masculinity)」の問題でもあるとされています。男たちが「男らしさ」を指向し、それを男同士で認め合い、女性との恋愛におけるでさえそのような男同士のジャッジや自慢のために利用するような場、それがホモソーシャルです。このような男同士の力関係は父権制社会における重要なファクターになっているとしてこのような考え方は注目されました。ですが最近ではこの「有害な男性性」問題は新たな局面に突入していると言われていますね。時代のこのような要請に柔軟に答えて、無害な振る舞いを行える、「ネオリベ」的な優秀な男性がむしろ組織の中心や支配層にとどまり、そういう考えに追いつけない「有害な男」は社会的地位を失い家庭もなく収入も少なく、「無敵の人」となって有害な男性性を最大限に発揮し、フェミサイドや無差別殺人に走るということが問題視され始めていると言えるでしょう。
次は「ポストモダニズム」という概念に触れますが、長くなってしまったのと少し毛色が違ったので次の記事に書きました。
↓こちらになります。