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人の目の手振れ補正

毎朝のウォーキングは、僕にとって一日の静かな序曲みたいなものだ。まだ街が半分夢を見ているような早朝の時間、澄んだ空気を吸いながら歩くと、世界がまるで新しいものに生まれ変わったような気がする。今日もそうだった。いつもの道を歩きながら、ふと目に映る風景に注意を向けたとき、ある奇妙な感覚に気が付いた。

目に見える風景が、まるでゴープロのような手振れ補正の効いたビデオ映像みたいに感じられたのだ。地面の起伏や体の動きに応じて、視界がわずかに上下する。しかし、その動きには不快なブレや乱れがなく、滑らかで自然だ。それはどこか、安定した映像を眺めているような心地よさがある。

そう考えているうちに、僕は不思議な事実に気が付いた。人間の目そのものに、ある種の「手振れ補正機能」が備わっているんじゃないだろうか。実際、僕たちは歩きながらも世界を乱れなく見ることができる。頭が揺れたり足元が不安定になったりしても、目や脳の中のどこかでその揺れを打ち消すような調整が働いていると。

考えてみれば、これは驚くべきことだ。カメラに手振れ補正の機能を搭載するのにどれほどの技術が必要だったかを思えば、人間の体にそれが「標準装備」されているのだ。僕たちはその精密さや巧妙さを、普段は意識することなくただ使いこなしている。

人間の体は、本当に驚くべき機能を備えた精密な機械のようなものだ。ただその機械が作り出すのは冷たく無機質な映像ではなく、柔らかく、生き生きとした現実の断片だということに価値がある。きっと、僕たちが普段見ている世界は、その精密な補正の上に築かれた小さな奇跡なのだろう。

ウォーキングを続けながら、僕は目の前に広がる風景にもう一度目を凝らした。「手振れ補正」のおかげで、今こうして見ることができている世界。その滑らかな美しさは、今日も僕の心をそっと温めてくれる。


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