Donguri

日々の出来事やその時思いついたこと、妄想を無造作に適当に書き綴っています。自由な発想で思うままに書いているブログです。気ままな更新をお楽しみください。

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最近の記事

幸せについて

幸せってなんだろうか、と自問するたびに、僕はどこかへ続く道をゆっくり歩いている自分を思い浮かべる。行き先なんて決まっていない。ただ今日という日をどこまでも歩いているのだ。振り返ってみると、幸せは特別な出来事の中だけにあるわけじゃない。それはちょっとした瞬間に、不意に現れるものだ。 例えば朝起きてカーテンを開けると、陽の光が柔らかく部屋に差し込んでいるとか、冷えたグラスに注がれたビールが喉を滑らかに通り抜けていくときだとか、そんな些細な瞬間に、僕は「ああ、僕は幸せなのだ」と感

    • 日本人の宗教観

      日本人にとって、宗教は特別なものじゃない。まるで空気のようにそこにあるけれど、わざわざ意識しない、そんな存在だ。お正月には神社に行って願いごとをし、お寺にも自然と手を合わせる。でもそれは「信仰」という大げさな感覚じゃなくて、日常に溶け込んでいる行為なんだ。無意識のうちに、自然にそうしている。 町を歩けば、道の端や住宅の片隅に小さな祠がひっそりと立っている。開発が進んでも、こうした祠や小さな神社は壊されることなく残されていることが多い。それは「守るべきもの」ではなく、ずっとそ

      • クジラ

        クジラの知能について考えたことがあるか、と誰かに問われれば、僕はこう答えるしかない。そうだ、考えたことはある、と。しかし、答えにたどり着いたことはない、とも言わざるを得ないのだ。 海に浮かぶクジラは、その存在そのものが壮大だ。彼らは遥か太古からの旅人であり、時に僕らが想像もできないほどの深い闇を知っているだろう。そんな彼らに、知能があるのかどうか。それは、人間が時折持ち出す「知能」という定義がいかに不確かで、曖昧なものであるかを示しているように思える。僕たちは「知能」をどこ

        • セブンイレブンの上げ底

          セブンイレブンの社長の記事は、なぜか心に少し冷たい響きをもたらした。上げ底などしていない、と断言し、批判するなら事実に基づくようにと促すその主張には、確信めいた響きがある。だが、それと同時に、どこか自分の言葉の重みや責任を測りかねているような、曖昧な影が宿っているようにも感じられたのだ。 考えてみれば、商品に上げ底があるかないかの話は、それだけで済むものではない。買い物客が、棚に並ぶ商品を手に取り、包装やラベルを覗き込むときのあの瞬間、彼らは単に「買う」か「買わない」かを選

          セブンイレブンの信頼喪失

          セブンイレブンは、静かにそしてゆっくりと、その存在感が曇り始めている。店先の明るいネオンと清潔なガラス越しに、誰もが一度は立ち寄ったことがある、そんな親しみのあるコンビニだ。それでも最近、僕たちの心の中でその光が少しずつ翳っていることに気づいているだろうか。 大幅に利益が下がっているという事実。もちろん、企業の世界ではそんなことは珍しくない。でも、セブンイレブンの場合、それが少し違う角度から見られている。弁当の上げ底や、ドリンクのパッケージがさも内容物であるかのような印刷、

          セブンイレブンの信頼喪失

          NOMORE無断生成AI

          「NOMORE無断生成AI」というニュースを見たとき、僕はふと、無機質な静けさを感じた。それはAIによる新しい波が、目に見えないところで静かに、しかし確実に広がっている感覚だった。声優業界での反発、抗議の声が上がるのは当然のことだ。彼らが守ろうとしているのは、自らの存在意義と、その背後にあるクリエイティビティの尊厳だと思う。声というものは単なる音の集合ではない。それは感情や歴史、経験の複雑な層が幾重にも重なり合って生まれるものだ。AIがその層をどこまで再現できるのか、それが疑

          NOMORE無断生成AI

          季節の狭間で

          朝晩が涼しくなったというよりは、もう肌寒くなってきた。数週間前のあの終わりのない猛暑が、まるで遠い昔の出来事のように感じられる。風が窓からひゅっと吹き込むと、思わず肩をすくめてしまう。季節の変わり目というのは、いつも僕を少し困惑させる。夏の余韻に浸る間もなく、秋が無言でやってきて、そして何も言わずにじわじわと肌に冷たさを伝えていく。 ついこの前まで、エアコンのリモコンを握りしめて、どこかで冷たい風を探していたのに、今は逆に何か暖かいものが恋しい。コーヒーの香りがいつもより強

          季節の狭間で

          静かなる値上げの日々

          今月の実質賃金が0.6%下がったというニュースを見たとき、僕は何かが胸の奥でひっそりと崩れる音を聞いた気がした。それは大きな音ではなかったが、確かに何かが変わった瞬間だった。一方で、今月値上がりした食品の数が2900点を超えたという事実が、どこか無機質な数字として淡々と流れていく。けれども、数字にこめられた現実は、僕たちの暮らしにじわじわと影響を与え続けている。 近所のスーパーマーケットに行くたびに、値札が少しづつ変わっていることに気づく。ほんの数ヶ月前には、手に取りやすか

          静かなる値上げの日々

          大自然の試練

          世界が揺れている。少し前、ドイツやポーランドで大洪水が起こり、町や村が濁流に飲み込まれた。そんなニュースを目にしたとき、僕はなぜか、遠い昔に読んだ物語の一節を思い出していた。水が全てを奪い去るという恐怖と、それでも人々が再び立ち上がるという希望が同居した風景が浮かんだ。水は命を与えるものでもあり、奪うものでもある。人間の手に負えない力を前にすると、僕たちはただ成すべきことを成すしかないのだろう。 一方で、アメリカでもハリケーンが襲って大災害をもたらしている。屋根を吹き飛ばし

          大自然の試練

          秋雨の静かな時間

          夕べからずっと雨が降り続いている。それは一種の穏やかな雨であり、まるで世界全体が優しく洗われているかのような感覚をもたらす。窓の外では、雨粒が絶え間なく舗道を叩き、細かな水の波紋を作り出している。その景色を見ながら僕はしばらく椅子に腰かけ、静かな時間を享受していた。 天気予報によると、今週の半ばから一段と秋の気配が深まるらしい。まだ日中はほんのり夏の残り香が漂っているが、夜の空気にはもう秋の冷たさが滲み始めている。その冷たさはまるで、遠い昔に失われた何かの記憶がふっと甦るよ

          秋雨の静かな時間

          大谷選手からの希望

          秋の気配が感じられる日曜日の朝、マンションの一室で僕はテレビをつけて野球を見ていた。窓から差し込む柔らかな朝の光がカーテン越しに部屋を照らし、ほんの少し肌寒い空気が漂う中、温かいコーヒーを手にしながらリビングのソファに腰を下ろす。テレビには、大谷翔平がポストシーズンの試合に挑む姿が映っていた。 画面に映る球場は、活気に満ち溢れ、観客の歓声が画面越しにも伝わってくる。その瞬間、僕は何か特別なものを目にしている気がした。2回、3-0で負けている状況の中、大谷選手がホームランを放

          大谷選手からの希望

          青空の向こうに見たもの

          今日は朝から久々の青空が広がっていた。窓を開けると、新鮮な空気が部屋に流れ込み、まるで忘れていた記憶がふと戻ってくるような気がした。朝食を簡単に済ませた後、散歩がてら近くの刑務所に出かけることにした。今日は矯正展があるらしく、それを見に行こうと思ったのだ。刑務所に興味を持つことは今までなかったし、ましてや中を見学するなんてことは、考えたこともなかった。 歩きながら、道沿いに咲く花々や、葉を揺らす風の音に耳を傾けていると、まるで自分が遠い場所にいるかのような感覚にとらわれる。

          青空の向こうに見たもの

          秋の静かな足音

          気が付けば夏の猛暑がいつの間にか過ぎ去り、このごろはすっかり秋めいてきた。街路樹の葉は少し黄や赤に色づき、ひらひらと風に舞っては静かに地面に降り積もる。その光景を見ていると、時の流れというものがいかに穏やかで、それでいて容赦ないものかを感じさせられる。振り返れば、僕たちは常にそうやって時間に取り残されている。夏が来て、暑さに汗をかいていたあの頃も、まるで別の人生の出来事だったかのように遠く感じられるのだ。 僕の住んでいるマンションの隣には、小さな公園がある。その公園にはベン

          秋の静かな足音

          曇り空の散歩

          今日も朝から散歩をした。空はまるで無表情な灰色のキャンバスで、日差しの欠片も見えなかった。しかし、僕にとって散歩は朝の儀式のようなものだ。それが晴れだろうと、曇りだろうと、そしてたとえ雨であっても。いつも同じ時間に靴を履き、コーヒーの残り香が漂う部屋を後にして、静かに外へと出ていくのだ。道路沿いのケヤキ並木はまだ葉の色を変えず、相変わらずの濃い緑色を保っている。どこかその頑固なまでの緑に、夏の名残を感じるような気がして、少しだけ心が温まる。 しかし、ぽつりぽつりと雨が降り出

          曇り空の散歩

          雨の日の静かな記憶

          今日は朝からどんよりとした空模様だった。灰色の雲が重くたれこめ、空気は鉛のように沈んでいた。僕はカーテンを引き、窓の外を眺めながらコーヒーを一杯淹れた。コーヒーの湯気がカップの縁からゆっくりと立ち昇り、なんだか少し現実から切り離された気分になった。まるで、誰かの夢の中で過ごしているかのように。 気温は低く、ほんの少し寒いと感じるくらいだった。夏の猛暑がすっかり消え失せ、まるでそれがただの幻だったかのように思えた。この部屋も、昨日までの暑さを逃れようとした戦場から、いまや静か

          雨の日の静かな記憶

          新内閣

          石破茂が総理大臣になった。それは、誰かが長い夢から覚めたような瞬間だった。夏が終わり、秋が静かに訪れるように、何かが終わり、そして新しい何かが始まった。彼の落ち着いた表情、どこか古いものを大切にするような眼差しは、この国の人々の心に深く染み込んでいた。長い間、石破は人々の意識の中で、遠くの灯台のようにそこに存在していた。彼は激しい炎ではなく、地味で慎重な光を放ち続けた。それは決してまぶしいものではないけれど、闇の中で確実に道を照らす光だった。 その知らせを聞いた僕は、台所で