曇り空の散歩
今日も朝から散歩をした。空はまるで無表情な灰色のキャンバスで、日差しの欠片も見えなかった。しかし、僕にとって散歩は朝の儀式のようなものだ。それが晴れだろうと、曇りだろうと、そしてたとえ雨であっても。いつも同じ時間に靴を履き、コーヒーの残り香が漂う部屋を後にして、静かに外へと出ていくのだ。道路沿いのケヤキ並木はまだ葉の色を変えず、相変わらずの濃い緑色を保っている。どこかその頑固なまでの緑に、夏の名残を感じるような気がして、少しだけ心が温まる。
しかし、ぽつりぽつりと雨が降り出してきた。最初はただの気まぐれな雫だと思っていたのだが、そのうちに少しずつ重さを増し、背中に湿り気を感じるほどになった。仕方なく僕は散歩を途中で切り上げて帰ることにした。傘を持たずに出てしまったのだから、こうなるのは予想の範囲内だった。それでもどこか心残りがあったのは、きっとこの「途中で切り上げる」という行為が僕にとって普段のリズムを狂わせてしまうからなのだろう。どこかで何かを始めて、それをきちんと終わらせることには、ある種の満足感が伴う。それが得られないと、どうにも心が落ち着かないのだ。
雨はしばらくして止んだ。昼過ぎになると、また歩きたくなって僕は外に出た。今度は傘を持っていたので、たとえまた雨が降りだしても、もう逃げることはないという心持ちだった。実際、少しばかりまた雨は降ったが、それもすぐに止んでしまった。僕はゆっくりと歩き続けた。通りの向こう側の小さなカフェの窓際には、一人の女性が座って何か本を読んでいるのが見えた。その姿をぼんやり眺めながら、僕は再び歩き出した。
今日という日は、まさに一日中雨模様の曇り空で、ぱっとしない天気だった。それでも、ケヤキの葉がまだ色を変えずにいることに、どこか救われた気がした。まだ変わらないものがここにあるということ。それだけで、僕の心の中にある何かが少しだけ整えられていくのを感じていた。雨は僕を妨げたようでいて、実際は何も妨げることはなかった。すべてはそのまま、ただ過ぎていく。僕はそれを受け入れながら、ただ歩き続けるだけだった。